ビートたけし「LGBTにも保毛尾田保毛男を笑う寛容さがほしい」コラムの問題。ダルビッシュ有の寛容な態度と“トーンポリシング”

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 「お笑いで普通にやってるんだから、十分に認めているってこと」という記述。「認めている」という言葉からは、「LGBTを認めてやっている」という上から目線が感じられる。様々な抑圧を受け、また権利が制限されているLGBTら性的マイノリティは別にマジョリティや社会から「認めていただきたい」わけではない。差別が解消され、人権を取り戻すという、当たり前のことを求めているだけだ。「お笑いの中で、普通に(偏見に基づいた)キャラクターとして扱っていただけた! 認められてる!」と誰が思うのだろう。

 また「ホームレスを笑いものにしたり、体が不自由な人を笑いものにしたっていうのと同じ扱いなのかね。普通じゃないから、笑いものにしちゃいけないってことなのかな」はいくつかの解釈が可能だと思う。おそらく、ホームレスや体が不自由な人を笑いものにするのは、“普通”ではないからいけないが、LGBT普通なのだから、笑いものにしていいのではないか、ということなのだろうと思う。

 この解釈で間違いなければ、ホームレスや体が不自由な人も笑いものにするべきでないし、LGBTも同様だ、と言うしかない。人種、民族、宗教、性的指向、性自認、障害、社会的地位、どんな属性であっても、それに基づく不当な扱いは、差別以外の何ものでもない。そして、ホームレスにしろ、障害者にしろ、LGBTなど性的マイノリティにしろ、それを笑い者にすることはまさしく不当な扱いだ。普通じゃないから、ダメという話ではない。

 時にマイノリティの「当事者」とされる人が、社会における差別や偏見をむしろ逆手に取って、自身のキャラクター性を高めたり、パフォーマンスを行ったり、笑いをとるような場合もある。「保毛尾田保毛男」の「ホモ」にしかり、「オカマ」や「レズ」など、侮蔑的とされる言葉を、当事者があえて使用したり、特定のコミュニティの中で名指すことも確かにある。だがこれは、文脈を理解した上での使用であるし、マジョリティが考えもなしに使うべきではないだろう。そもそも当事者であっても、そのような振る舞いが完全に適切であるかどうかすら疑問だ。

 極め付きは「もうちょっと、笑うような寛容さがほしいけどな」だ。

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