ケータイ小説のポエムは、「あなたの物語」という安全な世界を創造する

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ケータイ小説に具体性は不要

 私自身は、「ポエム」をそこまでネガティブな意味で使おうとは思わない。ただ、ケータイ小説において重要な役割をはたす「ポエム」が、ボードレールやリルケの詩と、「ネットポエム」のどちらに近いのかと聞かれたら後者だと答える。そちらの方が、ケータイ小説とは明らかに相性がいいのだ。

 そう、ケータイ小説には、「ふんわり」が欠かせない。いや、ふんわりが欠かせないというか、「具体性」がいらないのだ(1)。

 ケータイ小説作家の映画館さんにインタビューしたとき、映画館さんが「具体的な地名は想像してほしくないから書かないと仰っていたことが印象的だった。「魔法のiらんど」の編集者氏によれば、「ほとんどの作家が同じことを言う。具体的な場所を想像してほしくないとみなさん思っている」とのことで、それが全体的な傾向かつ重大事項であることがうかがえる。

 どうしそうなるのかといえば、具体的であればあるほど、その具体性から離れた属性を持つユーザーにとって、その物語が遠いものになってしまうからだろう。多くのケータイ小説ユーザーは、より「私」に近い存在、より共感しやすい物語を求めている。余計な具体性によって「私との距離」を示されることは、望んでいないことが多い。書き手も、その読み手の中から出てくることがほとんどであるため、両者の意識はおおむね合致することになる。

 その結果としてケータイ小説は、「固有名詞が極端なまでに出てこない」という特徴を帯びることになった。現実的な地名や学校名を出さないのはもちろんだが、洋服のブランド名も、聞いている音楽の名前も、読んでいる漫画の名前も同様だ。「架空の地名」「架空の店名」といったものも、よっぽどの理由がない限り出てこないことが多い(※2)。

 もちろん、女子高生のヒロインが通っている高校名や、ヒーローが所属している暴走族のチーム名くらいはかろうじて出てくる。その暴走族が「関東ナンバーワン」と言われていることから、舞台が関東であることくらいは想像できたりもする。しかし、あとは「繁華街」「町はずれの倉庫」「家」といった言葉が出てくるくらい。あまりに情景描写がないため、「だいたいこんな感じの場所だろう」とすら想像しづらい。しかしそれはひるがえすと、「どう想像したってかまわない」ということなのある。

 書かれていることが抽象的であればあるほど、多くの読者にとってそれは「勝手に解釈できる物語」になる。街はただ「街」という概念として頭に入れておけばいいし、ヒロインを「自分と近い存在」として再解釈することも容易い。つまり、「あまり仲の良くない両親と文京区一丁目に暮らしている、偏差値62の私立高校に通う山田恵子」よりも、「孤独な少女ケイコ」の方がより“匿名的”で、そして「私」に近いのである。

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