ツイッターの「凍結祭り」は、放置されてきた問題発言を多さを意味している?

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 菅野氏の凍結処分の際にも聞かれたが、「なぜこのアカウントが凍結されなくてはいけないのか」「もっと問題のあるアカウントは他にあるだろう」という声は、ツイッター上である程度認知されているアカウントが凍結される度にあがる。だが前出の記事も言及した通り、政治的立場や思想にかかわらず、ツイッター社が定めた利用規約に抵触するツイートをすれば、アカウントが凍結される可能性は十分にあるものだ。ある差別的発言は問題視するが、別の差別的発言は問題視しない、というのはダブルスタンダードだ。どんなものであれ差別的発言は許さない、というのがもっとも望ましいものなのではないだろうか。

 おそらく今回の凍結祭りは、特定の思想や言動、趣味趣向をもったアカウントを恣意的に狙ったものではなく、利用規約を厳密に対応した結果なのだろう。それはつまり、「祭り」と称されるほどに、ツイッター社が問題のあるアカウントを放置してきた、ということでもある(もちろん、凍結された全てのアカウントが問題だったとは言い切れない。ツイッター社が誤って処分している可能性も十分にある)。実際、いまだに凍結処分されないことに疑問を抱かざるをえないような、日々ヘイトスピーチを垂れ流しているアカウントは多数ある。

 神奈川新聞が報じているように、ツイッター社も、「対応を急ぐあまりに間違って凍結してしまうケースがないとも言えない」「人的、技術的面から改良、投資をしている」としている(<時代の正体>桜井誠氏のツイッターアカウント凍結 元在特会会長で日本第一党党首)。

 アメリカのトランプ大統領はもちろん、日本でも多くの政治家がツイッターアカウントを開設している。ツイッターはすでに公共空間としての立場を担うメディアとなっているといっても過言ではない。そのため、どんな利用規約を定めるか、そしてそれをどのように運用するかには、重大な意味と難しさがある。

 その難しさとしてひとつの例となるのが、先程も言及した座間市の事件だろう。事件後、メディアでは、ネット上に多数ある自殺系のサイトや掲示板、あるいは「自殺募集」「死にたい」というツイートを問題視する、あるいはセンセーショナルに取り上げられていた。

 だが、精神科医の松本俊彦氏は、ハートネットTVのウェブサイトに寄稿した緊急コラムで以下のように書いていた(以下、抜粋)。

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「死にたい」と誰かにつげる行為には、「死にたいくらいつらいが、このつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい」という意味が込められています。

そして、安心して「死にたい」といえる社会、あるいは人とのつながりこそが、人を自殺から守るのです。

自殺系のサイトや掲示板がいけないと結論するのは、待って欲しい。

座間市で起きた事件を受けて

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 松本氏は続けて、まず考えるべきは、安心して『死にたい』といえる安全な場所を死守するためにはどうすればいいか、とも書いている。

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