出産=幸せのフォーマットから外れていた自分。母親になって初めて感じた孤独

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母親だけが地獄に陥りやすい新生児との生活

 私も産後間もない頃、完全に塞ぎこんでいた時期があった。

 帝王切開での出産だったため傷は痛んだが、産後1週間の入院期間中は、新生児の世話をしながらも(それも別室)自分の身体の回復を優先できたし、産院のサポート体制も整っていたから自分はただただ母親になれた喜びを噛みしめていられた。

 しかし悪夢のような日々は退院後、数日で訪れる。

 分かってはいたことだったけれど、新生児はとにかく母親に心の安息を5分たりとももたらしてはくれない。

 いや、今考えれば、新生児はただミルクを飲んで寝ているだけなのだから、こちらだってそれに合わせて適当に休んでいればよかったのかも……とか呑気に思えたりするのだが、母親になりたての私は、自分次第で生かすも殺すもできてしまうような儚く小さな命に、1分足りとも気が抜けないほど大きな責任を感じていた。

 寝かせてくれない、何をしても泣き止まない、家から出られない……

 自分ばかりが小さな世界に閉じ込められたような気持ちになり、「何でこんなに私をがんじがらめにするんだ……」と憎しみに似た気持ちが湧いてきて、息子のことを全く「かわいい」と思えなかった。

 それなのに毎日遅くに帰ってくる夫や週1で来てくれる実母は新生児の息子を「かわいい、かわいい」と言う。これ自体は当然なのだけれど、身も心も削って世話しているのは私なのに、私のことはスルーして息子を猫可愛がりする姿が嫌でたまらなかった。

 ちっともかわいくない。これのどこがかわいいんだ。そんなにかわいいなら、連れてって世話してくれ!!

 私はこんなに地獄なのに周りは祝福ムードで温度差がすごい。“ちっとも幸せなことに思えない”のに、皆、柔らかく温かい顔で息子を見つめる。この激しい温度差は本当に異様だと感じたのを覚えている。

 どこにでもあるような「ご出産おめでとうございます」というフレーズにすら過敏に反応して、心底気持ち悪く感じていた。

 育児に疲れている母親は、シンプルに「赤ちゃんの世話に疲れている」だけではない。

 寝る間もないとか、泣き止まないとか、「仕事」として大変なのももちろんだが、しかし、私が疲弊した一番のツボはそこではなかったと思う。

 最大の苦痛は、出産してからしばらくの間、どこにも「自分」が存在しなかったということだった。

 新生児は別に母親の「私」を必要として泣くのではない。本能のままに食事(ミルク)を欲しがり、排泄物を出すだけで、その世話役を母親の私がやっているだけのこと。その報われない任務はとても重労働なのにもかかわらず、家族を含む世間からは「当たり前」だとされる。1分たりともリラックスできない状態が毎日続くという、どう考えたって異様で過酷な生活なのにそれを「当然」とされる。これを拷問と呼ぶ以外何があるだろう。

 夫は毎日会社で働き、時にはその労力や功績を評価され、時には客に「ありがとう」と言われる。そして疲れた身体を休めるべく毎日夜は睡眠をとる。

 親しい友人だって楽しく飲みに行ったり、温泉に行ったり、有意義に毎日を生きているように見えた。

 私は何だろう。こんなに拷問のような暮らしをしているのに、「当たり前」の一言で片づけられてしまう。誰も助けてくれない。そして出口も見えない。

 本当に、この世界でたった一人でいるような気持ちに日々見舞われていた。

 その結果、息子が憎い。動物的な動作がいちいち気持ち悪い。

 なのに周囲は「かわいい、かわいい」と言う。「出産おめでとう~♪」の言葉ですら“可愛いと思えよ。幸せだと思えよ”という強迫にすら思えてしまった。

 今、振り返れば、当時の精神状態はとことんまで落ちていた。

 昔から本音のみで語り合えた経産婦の友人の「いや、かわいくないよね。うるさいし。かわいくないよ、うん」というメールのみが、私の孤独を救ってくれる唯一の光だった。

 退院後数週間経って、検診の際に産後うつのチェックテストを受け、その場ですぐ産院から区の保健師に連絡された。恐らく「うつ」あるいは要注意状態だと判断されたのだろう。

 その後、区の保健師が何度も訪問してくれたが、これ以上息子を「かわいい」と言われるのが苦痛だったし、育児に対する前向きな発言でもされようものなら心が壊れそうで、何度も居留守を使った。

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