出産=幸せのフォーマットから外れていた自分。母親になって初めて感じた孤独

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心が弱いから「産後うつ」になるのだろうか

 とある知人の娘Kさん(現在33歳)は、数年前の産後間もない頃、近所に住む姑の言動に悩まされていたようだ。

 Kさんも私と同じように慣れない育児を通して日々、押しつぶされそうな思いで生活していたのだろう、産後しばらくして「産後うつ」と診断されたそうだ。

 それに対し姑は「昔は“産後うつ”なんて言葉なかった。だいたい今の母親は甘えすぎ。心が弱い」とバッサリ。

 産後当時の自分の気持ちを思い出すと、他者からこんな言葉をぶつけられたKさんの当時の絶望感は計り知れない。

 私も似たようなことを地域のファミサポさん(60代女性)から言われたことがあるが、昔の母親は皆、子育てを気合いのみで乗り切れるほど、そんなに精神力が強かったというのだろうか。

 というか、「産後うつ」は心が弱い人間がなってしまうものなのだろうか。

 確かに「産後うつ」という言葉自体は新しいフレーズであって、昔は精神的に不安定になることを含めて産後の不調を「産後の肥立ちが悪い」と表現したそうだ。

 つまり、産後にはホルモンバランスが崩れることや、体力が低下していることで様々な不調が現れる、それを全体的に「産後の不調」と一括りに考えていたということだ。

 現代では、その産後の不調の中でも精神状態にスポットを当てた「産後うつ」が注目され、専門的にケアする機関も整っている。

 Kさんの姑は、「特別に心のケアをするなんて過保護。子供産んだら不調なんて当たり前。甘えるな」と言いたいのかもしれない。

 けれど、もし私があの地獄のような精神状態でKさんのように他者から子育てについて否定をくらっていたらどうなっていただろうか。

 もはや自分すらコントロールできなくなって、自傷行為や虐待に走ってしまっていたとしても決して不思議ではなかったと思う。

当たり前」はひとつもない

 私の場合は元々が完璧主義な性格で思い悩みやすく、それゆえタイプとしては「産後うつ」になりやすい人間だったのかもしれない。

 親身に話を聞いてくれた助産師さんがいた。彼女曰く、緊急帝王切開での恐怖やショックが後を引いてうつ状態につながることもあるとのことだった。

 私の場合、計画入院中にお腹の子供に異常が見つかり、「危ない。死ぬかもしれない」という事態に直面しそれから数十分での緊急手術。

 周囲は無事に産まれたんだからよかった、と笑顔で言うが、当人の私からすれば直接「死」というものと隣り合わせに居た時間は確かにショックだったし(自分が死ぬかもしれないという思いも含め)今でも思い起こすと恐怖が蘇る。

 それに、身体の回復が遅かったことも、母乳がスムーズにいかなかったことも、のちの心の不調の要因だったのかもしれない。

 しかしもう一つの大きな要因は、世間が母親に求める『ハードルの高さ』にあると思う。

 前述したとおり、とっても過酷な生活を強いられるのにそれを“母親なら当たり前”とみなされ、少しでも手を抜いたり後ろ向きなワードを口にしようものなら“赤ちゃんがかわいそう”とか言われる。

 とっても大変な思いをしているのに、その母親のことは誰も見ようとはしなかったりするのだ。

 それに、私は辛い時はっきり口に出して「辛い」と言えていたからまだ良かったのかもしれないが、前出ドラマの登場人物・産婦の彩加も含め産後うつに陥る女性の多くは「大丈夫」が口癖だという。

 本当に大丈夫だと思って言うこともあるのだろうが、「母親なんだから“大丈夫じゃなきゃいけない”」と思いこみ「辛い」を口に出せない人も多いだろう。

 皆、仕事や人間関係については「つらい」「しんどい」「辞めたい」をどこかで口にできるのに、育児のこととなると何だかそれがタブー視されている風潮がある。

 育児関連の商品の宣伝などでも、どのCMどの広告を見ても決まって幸せそうで柔らかく優しい時間が描かれていたりもするし、私も母になるまでの長年こういったものを目にしてきて「母親になることはとっても幸せなことなんだ」と植えつけられていた。

 でも現実はそればかりじゃない。というか、母として生きることに慣れるまで(特に新生児期)はしんどいことばかりだった。

 外出した際も小さな赤ちゃんを見れば皆「かわいい」と言うし、出会いがしらまず母親を見て「育児大変でしょう」と声をかける人なんてほぼいないだろう。

 だから「この子に対して本来“かわいい”と思えなきゃいけないのに、私は思えない。私は母親失格」とさらに追い詰められてしまう。

 私の息子は間もなく1歳半を迎える。あれからたくさんの人に出会い暖かい言葉にも救われ、幸い今、健康に育児をすることができている。

 そりゃ育児は大変だけれど、少なくとも「この世で一人」ではない。

 今の私が強く思うことは、当たり前なんてことは何ひとつなかったということだ。

 今でこそ子に時間を制限されたり、オムツを替えたり食事を与えることが私の中で当たり前に変わってきたが、それは自身で何百回と乗り越えてきたことだから。“母親なら当たり前だから”ではない。

 それに睡眠不足など本能的な欲求が満たされない部分については何百回乗り越えても未だ当たり前になどなれていない。

 しんどいし、投げ出したくなることばかりだ。

 女性は子を産み育てることが多いが、それは社会全体で見た時に「多い」というだけの話であって、人ひとりの人生として考えれば命がけで子を産むことからしてすでに「当たり前」ではない。これを「奇跡」と呼ぶ人もいるけれど、奇跡というか、母にも子にも運があって、医療関係者の手助けがあって、なんとか成立するものだろう。

 人生の大仕事であり、出産もそれからの子育ても、母親当人にとっては未知の世界。つまりそれぞれが1つずつ乗り越えながら1つずつの「当たり前」を築いていくしかないわけで、他者に強要することではない。

 子を産んだ瞬間に苦労も戸惑いも「当たり前です」なんて言えるスーパーウーマンになど産まれ変われるわけじゃないのだ。

 先に子を産んだ姑や一部“先輩ママ”なんかも、自分がすでに獲得した「当たり前」を振りかざしマウントのようなことをする場面は多いが、どうかこれから出産・子育てを経験する妊産婦には、決して「当たり前」という定められたゴールに向かって歩いているのではないと思ってほしい。

 新しい家・新しい仕事・新しい趣味……と同じように、まっさらな状態から自分で作っていく、チャレンジするんだという気持ちであってほしい。

 それに、子育ては別に絶対的なものじゃない。

 産んだからには子に責任を持つ必要はあるが、その責任の持ち方に対してどう“感じるか”はそれぞれが選んでいいハズだ。

 楽しいでも良いし、面倒くさいでも良いと思う。「どうもオムツのCMみたいに愛情溢れる感じにならないなあ~」と思っていたって、何も子供を河川敷に捨てるというわけじゃないんだから、子育てをどう感じているかを口にする権利ぐらいはあるし「かわいい」「楽しい」や、少しオブラートに包んだ「大変」ぐらいしか言いにくいのはおかしい。もうイヤだ、と叫んだときに「自分で選んだ道だろう」と叱責したり、「子供がかわいそう」でまとめられたら、気持ちのやり場がない。

 子育てにだって向きや不向きがある。しかも産んでみなければ自分の適性はわからない。

 「節約苦手なんだよね~」くらいの温度で「子育て苦手なんだよね~」なんて気軽に言葉を交わし合ってもいいのではないか。

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