ケータイ小説「七つの大罪」はどこへ消えたのか

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(c)小池未樹

 「ケータイ小説らしい物語」とは何か。それを探るために、私は今一度、改めて2000年代のケータイ小説作品に目を向けようと思う。『Deep Love』(2003)の大ヒットを皮切りに、2007年頃にピークを迎えた「素人女性による投稿小説」の一大ブーム。この頃のヒット作から当時のケータイ小説の潮流を読み解くとともに、今のケータイ小説と見比べて、変化した部分と変化していない部分、両方について自分なりの考えをまとめてみたい。そこから、「ケータイ小説」というジャンルの根底を支える、芯のようなものが見えてくるかもしれないからだ。

ケータイ小説「七つの大罪」

 ケータイ小説ブームが起きていたと呼べる期間を、私は2003〜2008年の間であると考えている。2003年は『DeepLove』が刊行された年。そして2008年は、2007年度の文芸書売り上げランキングの上位がケータイ小説に占拠されていたことが数々の報道や評論で明らかになり、「ケータイ小説恐るべし」と大人たちが騒いでいた年だ。

 この期間のケータイ小説の潮流については、いくつかのヒット作を見れば大まかにはつかめると考えている。もちろん、当時も多種多様な小説が投稿サイトにはあふれており、「あるある」に収まりきらない作品もいくらでもあった。しかし一方で、人気作品が非常にわかりやすく、大勢が一つの作品を真似しやすい状況でもあったのである。というのも、当時は書籍化の刊行ペースが遅く、サイト内ランキングのジャンル分けも今のように細かくはなかったからだ(※1)。

 ブーム期を象徴する作品の持つ傾向については、これまでも多数の批評家やジャーナリストが分析を行ってきた。わかりやすいので、今回は小説家・批評家の本田透氏の著書『なぜケータイ小説は売れるのか』(2008)に登場する、ケータイ小説「七つの大罪」という概念を援用する形で話を進めていきたいと思う。

 本田氏は、ケータイ小説のヒット作には、七つの「罪」が頻出すると指摘している。その七つとは、「売春」「レイプ」「妊娠」「薬物」「不治の病」「自殺」「真実の愛」である。これは、当時のケータイ小説の傾向をよく表しているとともに、今も残るケータイ小説へのイメージとしてわかりやすい考え方だと思う。本田氏の整理にならい、ケータイ小説のミリオンヒットたちを振り返りながら確認してみよう。ちなみに私から勝手な補足を設けると、このうちの「自殺」は「自殺(含む自殺未遂)」、「真実の愛」については「ヒロインによる自己完結的な愛の誓い」(※2)と言い換えた方が、本田氏が言っていることのニュアンスとして正確なような気もする。

 まずはケータイ小説の始祖・『Deep Love』だ。この作品のヒロイン・アユは援助交際(売春)を繰り返す女子高生であり、恋する相手・義之の手術費を稼ぐために援助交際をし続けた結果、エイズ(不治の病)にかかりあっさり死ぬ(義之はホストになって荒む)。また『Deep Love』第三部の『レイナの物語』では、アユの友人レイナがレイプされて孕んだ子どもを産み(妊娠)、不幸にまみれて精神的にどんどん病んでいき発狂する(具体的に説明するとエグすぎるので割愛……)。

 次は比較的おとなしい。2005年に刊行されて大ヒットした『天使がくれたもの』。『恋空』に比べてインパクトは小さかったように思われているが、「実話系」のはしりとなった重要な作品である。本作のヒロイン・舞は、友人に誘われて通うようなったたまり場を起点に三人の男と付き合うが(その間に、たまり場メンバーの女子が二人も妊娠して高校を辞める)、最終的には本命である香具山への真実の愛を自覚する。が、その香具山は事故で突然死ぬ。

 そして言わずと知れた『恋空』(2006)。ヒロイン・美嘉は、イケメンヤンキーのヒロと付き合い始めたことでヒロの元カノに恨まれ、策略によって数人の男にレイプされてしまう。その後美嘉はヒロの子どもを妊娠するが流産。ヒロはシンナー(ドラッグ)を吸い始め、美嘉を虐待し突き放す。ところが、実はヒロはガン(不治の病)に侵されていて、美嘉と距離を取っていたのは彼女を悲しませないためなのであった。ヒロは死亡し、美嘉は自殺しかけるが思いとどまり、彼への真実の愛をかみしめながら明日へ向かう。

 最後が『赤い糸』(2007)だ。ヒロインの中学生・芽衣が同級生アツシと付き合い始めるところから物語は始まるのだが、このアツシという男、浮気はするわ、ドラッグ使用セックスをするわ、ごくひかえめに言ってヤバい奴である。すったもんだの挙句アツシと別れた芽衣は、心の傷を抱えて適当な男とセックスし、不良に輪姦され、次に付き合った男にデートDVを受け、ドラッグパーティに行き、よりを戻したアツシの元カノに殺されかける。しかし最終的には、アツシへの真実の愛を実感し、彼とめでたく結婚する。三十女としては、本当にアツシでいいのか甚だ疑問。

 バラツキはあるが、この頃のケータイ小説の「あるある」の傾向は読み解けるだろう。もちろん恣意的に抜き出している面はあるが誇張はしていない。

 レイプに妊娠、不治の病。ケータイ小説ブームの頃、特に『天使がくれたもの』から『赤い糸』までの間は、サイトへの投稿作を見ても書籍化作品を見ても、たしかにこういった、センセーショナルな要素を持った作品が目立った。

 こうした2000年代ケータイ小説の志向性のことを、本田氏は「レイプや妊娠や不治の病といった不幸イベントを耐え忍んだ結果、『真実の愛』を見つければ全ての不幸なイベントがキャンセルされ、『幸福』になるという信仰」と表現した。

 私も、ここについては比較的近い考えを持っている。一連のヒット作の根底には、いずれも「我慢すればいつかは報われる」という理想——それを私は「信仰」とは言わない——があるように思われるのだ。ヒロインに課せられた使命がこの「信仰」を体現することであり、そのために数々の悲劇があるのだという主張には、私もおおまかに賛同する。

激甘なのに、「虐待」?

 ではブーム以後、つまり2008年以降〜2017年についてはどうか。

 改めてブームの頃の作品と見比べてみて思ったが、やはりテイストは変化している。

 一番大きな変化は、(繰り返し書いてきたことだが)今はもはや、「切ナイ実話」調の作品はまったくウケない、ということだ。特に、ヒロイン・ヒーローのどちらかが死んで終わるような、悲劇的な小説は本当に見なくなった。

 論より証拠だ。最近のケータイ小説の新刊を見てみよう。

 たとえば2017年10月の「魔法のiらんど」文庫新刊。映画館さんプロデュースの『溺愛BEST』は、かなりエンタメ感溢れる短編集である。

>名門高校の特待生・佳乃と、謎だらけの教師・倭の甘いラブ。映画館書き下ろしストーリー。彼の目的は実はエッチでは? と疑った心がとった作戦は? 明日央のほんわか甘いラブストーリー。不良でイケメン、喧嘩も強い杜くんと優等生・綾の恋は!? シグレが描く初ラブストーリー。幼なじみからやっと彼カノになった香織と愁。戸惑う2人を描く大人気ゆーりの幼なじみラブ。図書室で会う敷島くんとのささやかな秘密の時間。彼に惹かれている晴香だったけど――。一ノ瀬亜子デビュー作!

「野いちご」の方の新刊『手をつないで帰ろうよ。』からも、悲惨なノリはまったく伝わってこない。『りぼん』に連載されていてもおかしくない感じの、いかにもな青春ラブである。

>4年前に引っ越した幼なじみの麻耶にずっと恋している明菜。今度こそ告白しようと再会した彼は、イジワルで冷たい別人になっていた。麻耶と同居することになった明菜は、彼が昔と変わらないことを感じて、好きだと再確認する。そんな中、麻耶のファンの女子に倉庫に閉じこめられてしまう。麻耶は必死に探しまわるが…。幼なじみのジレジレ同居ラブ!

 公式サイトのログを遡ってみれば一目瞭然だが、「魔法のiらんど」「野いちご」ともに、『恋空』『赤い糸』的なノリを感じさせる作品はもはや皆無である。ヒロインが男から男へと渡り歩き、レイプされたり流産したり、本当に想った相手と死に別れたり、といった波乱万丈をアピールしている小説はまずない。書籍化されていない作品を見ても同じだ。ランキングに上がってくる人気作のほとんどは、前回書いたような「溺愛」要素を売りにしている。悲惨な「実話」を謳うよりも、非現実的設定上等の激甘フィクションの方が圧倒的にウケはいい。

 悲劇から激甘へ。「切ナイ実話」から「溺愛」へ。バッドエンドよりもハッピーエンドを。

 この変化は非常に大きい。当たり前だが、これを前提とすれば「七つの大罪」の扱いだって大いに変わってくる。激甘を望んでいる読者にとって薬物使用セックスはあまりにハードな展開だし、妊娠だって愛する男との「望まれた妊娠」であって然るべき。ましてや死別なんてとんでもない。

 ……では、「七つの大罪」は完全に解体されたのだろうか?

 実はそうとも言えないのである。

 10月の「魔法のiらんど」新刊、愛咲メルさん(個人的に、非常に注目している作家さんだ)による『猛獣彼女』のあらすじを見てほしい。

>エマは高校2年生。小さな頃にママに捨てられ、叔母夫婦に引き取られた。叔父から虐待を受けているエマは、その記憶を上書きしたくて、援交なんてしちゃってる。ある日、痴漢に遭ったエマを助けてくれたのは、暴走族・紅蓮の翔ちゃん。エマが体でお礼をしようとすると、「自分を大切にしろ」と太陽みたいな笑顔でたしなめてくれた。すっかり心を奪われてしまったエマは、翔ちゃんにグイグイ迫るけど、純情ヤンキーの彼はなかなか振り向いてくれなくて…。

 ポップな文章で、えらいことが書いてある。虐待・援交・体でお礼。これはどう見ても、「七つの大罪」の世界観に近いキーワードではないか。しかも本文を読むと、『DeepLove』と同じように、ヒロインが援助交際をしているところから始まる。

 ところが、「カラダはビッチ心はピュアな女子高生と、恥ずかしがり屋な不良くんの甘ラブストーリー」というキャッチコピーの通り、これはあくまで「激甘」ものなのである。『DeepLove』や『赤い糸』にあったような悲惨な雰囲気はまるでない。当然ながら読み手も、ヒロインがヒーローにたっぷり愛されることを、そしてハッピーエンドを確信して読むことができる。

 ケータイ小説を読み慣れていない人は、このノリに戸惑いを感じるかもしれない。だが実はこのように、今のケータイ小説に求められる甘さ・ハッピーさを確保しつつも、そこに親からの虐待や売春、壮絶ないじめといった「エグめ」の設定をどっさり詰め込んでいる作品は多い。「ドラッグ」や「不治の病」といった一部の例外は排除されたが(これらは、あまりに未来に禍根を残しすぎるからだろう)、あとの「罪」に関しては、『猛獣彼女』の例でも明らかなようにしっかり残っているのだ。

 ここまでの話をまとめよう。

 2003年〜2008年のケータイ小説ブーム期の作品には、本田透が「七つの大罪」と名付けたような、ある種の悲惨な展開がよく登場した。それはヒロインを徹底的に追い詰め、苦しめていく材料であるとともに、そのあとに訪れる「真実の愛」の価値を高める効果も担っている。それ故に物語は「悲劇」の色をおびがちだったが、読者がこの「悲劇」を求めていたことは、当時のヒット作の爆発的な売れ方を見てもある程度推測できる。

 一方、ブーム以降のケータイ小説が重視しているのは「甘さ」である。そのために、ドラッグやヒーローの死など、「溺愛」を明らかに妨げる要素は排除されるようになっていった。ところがこれは、「七つの大罪」自体の消滅を意味するわけではない。「甘さ」を保証する物語にも、売春や虐待といったキーワードはしばしば見ることができるのである。

 ケータイ小説から、死別などの本格的な「悲劇」は駆逐された。

 しかし、「大罪」は残った。

 ここに、ブーム期のケータイ小説と、ブーム以降のケータイ小説の接続点がありそうである。ケータイ小説が、いくつかの「罪」を「あるある」設定として残すことによって、守った「ケータイ小説らしさ」とは何か。

 それは、「彼女たちにとっての不幸(罪)」ではなく、「彼女たちの求める幸福(報い)」から見えてくる。(続く)

※1 当時のケータイ小説の書籍化は、さほどハイペースで行われてはいなかった。今のように文庫で毎月新刊が出るという形ではなく、サイトに飛び抜けた人気作があれば随時単行本で出版する、という状態だったためである。

※2 本田氏は、「真実の愛」を「罪」にカウントした主旨についてこう語っている。「この『真実の愛』とは、キリスト教的な信仰なのだろうか? もちろんそうではない。ケータイ小説のヒロインは、無宗教である。無宗教なのに、困った時だけ神や天使の名を口にして、祈る。日本人にとっては普通の光景でも、おそらくキリスト教圏の人間にとってはこれもまた『罪』だろう」(P17)。ブーム期のケータイ小説では、ヒロインによる「神様」や「天使」への祈りの言葉、愛の宣言が頻出だったことから、「浅はかな愛の宣言=罪」と位置付けたようである。

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