DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス)の新・基礎知識Q&A

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まとめ:性を、人を大切にするとはどういうことか?

 AISを持つあるおばあちゃんは、もう50年ほど前、彼氏に「私は染色体がXYで子どもが産めない」と勇気を持って伝えました。彼氏の返答は、「僕が好きなのは君の染色体でも君の赤ちゃんでもない。君なんだ!」というものでした。

 一方で、同じAISを持つある女性は、カウンセラーに自分の体の話を打ち明けたところ、「あなたは男でも女でもないと受け入れるべき」と無理強いされ、「私は女です!」と反発すると、逆に怒りをぶつけられました。

 このふたつのエピソードを分けるものは何でしょう?

 DSDsを持つ子どもたちや人々は、「男でも女でもない性別」というイメージが投影され、被差別対象や性的・耽溺的なファンタジーの対象となることがあります。また、男性・女性という枠組みを超える理念や理想を語るために、背後の人々がどのような思いをしているのかも顧みず、なかには当事者女性の全裸の写真を用いて、多様性のひとつとして言及されるなどということまであります。オリンピックで「性別疑惑」という汚名を着せられたキャスター・セメンヤさんは、自分の極めて私的な領域の話を暴露され、世界中の人々が、彼女の体の性のあり方に対して様々な「意見」を述べるということもありました。

 想像してみてください。自分や自分のお子さんの「性器」について、自分の預かり知らないところで、「拒否的」であれ「好意的」であれ、様々な人々が様々な「意見」を述べあっているという状況を。

 このような状況は「オブジェクティフィケーション(モノ化・自己目的化)」、あるいは「観客の問題」と呼ばれています。

 理念や理想というものは、それがどれほどだけ高邁なものであっても、時に急進的になり、ひどい場合は現実の人々を抑圧し、否定しかねません。医療人類学者のアリス・ドレガさんは、自分の理念を語るために、このような体の状態を持つ人々を引き合いに出す状況を、「生け贄」という強い言葉で表現されています。支援運動で大切にされているのは、その人ひとりひとりがどのように自分の人生を生きていくのか、あくまでその主体性であって、理念や理想ではないのです。

 「性」という領域では、自他の区別が失われることが多くあります。しかし、自分の「欲望」と相手の「望み」との混同は、性的ハラスメントや痴漢・レイプ被害のように、相手の心を深く損なうことがあります。特にDSDsは、性の中でも「性器」という極めて私的な領域に関わる話です。その人の染色体や性器、性自認、性の理想の話ばかりに拘泥することなく、不断に「人間」を見失わない態度が必要になります。そうした態度の上で、正確な知識をアップデートしていく。そのための基礎知識として、この記事を参考にいただければと願います。
ネクスDSDジャパン ヨ・ヘイル)

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