誰しものなかに貧困への差別心がある前提のもと、私たちは社会保障について考えなければならない/『助け合いたい』さいきまこ×『失職女子。』大和彩対談・前篇

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それぞれの本を手に話す、さいきまこさん(左)と大和彩さん(右)

 人は無意識のうちに、他人と自分との違いを探し出す。それは劣等感につながることもあるが、「あの人と比べると、私は大丈夫」と、ひとまずの安心を得る材料にもなる。

助け合いたい~老後破綻の親、過労死ラインの子~』(秋田書店)を読んでいるとき、筆者はそうした“違い”を探していたように思う。本作では、特別に裕福ではないけれど、これまでつつがなく人生を送ってきた老夫婦と40代の息子があれよあれよという間に困窮し、結婚して別に家庭を営む娘の援助を受けても間に合わず、持ち家を手放し、ますます追い詰められていく様が描かれる。

 親の健康状態や資産、きょうだいの就労状況などについて、思わず「ウチの場合は」と違いを見つけ出そうとしていたが、読み進めるうちにふと気づく。ディテールに違いはあっても、俯瞰すれば大差ないのではないか。精神疾患も含む病気は誰にでも訪れるものだし、いとも簡単に「働けない」状態に陥ることもある。つまり、この一家に起きたことは他人事ではない……。

 同書の著者、さいきまこさんは貧困と生活保護をテーマにした作品を継続して発表している。『陽のあたる家~生活保護に支えられて~』『神様の背中~貧困の中の子どもたち~』(共に秋田書店)につづいて、本書はその3作目に当たる。大和彩さんは『失職女子。~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで~』(WAVE出版)を2014年に著し、現在も保護を受けながら心身の回復を目指している。

 両氏の対談は、“違い”を探す人たちについてから始まった。

まさか自分たちが…

さいきまこさん(以下、さいき)「ウチは大丈夫と思っている人でも、リストラや病気、子どもの失業などを機にどんどん経済状況が悪化していくのは、取材をしていてもよく聞く話です。『助け合いたい』の老夫婦は住宅ローンを完済していた、子どもたちも自立していた、そして何より特にぜいたくをすることもなく暮らしていたのに、『まさか自分たちが』という状態に陥りました。誰にとっても、どの家庭においても起きうることとして描いたのですが、コミック誌で連載中に『この人の漫画はいつも“誰もがこうなりうる”みたいに思わせるけど、こんなの一部の特殊な人でしょ?』という感想が届きました」

ーー自分との“違い”を見つけて、そういうわけですね。

さいき「そうだと思います。たとえば過去の作品でも、父親の病気をきっかけに困窮していく家庭を描きましたが、病名はあえて具体的に書かなかったんです。『ウチも夫が入院したけど、違う病気だから大丈夫』と受け取られると困るので。そうしたら『ウチは丈夫な夫でよかった』という感想が届きましたが」

大和彩さん(以下、大和)「私の場合は“体重”ですね。『失職~』で、リストラ後の求職活動中に体重が100kgあったことを明かしています」

自分は大丈夫という思い込み

大和「すでに健康的な食生活もままならなくなっていたうえに薬などの影響で体重が増加していたのですが、そこが自分たちと違う部分、特異な部分だと思われたのでしょう。『だから就職できないんだ』『まずは痩せてからにしろ』という感想をSNSなどでよく見ました」

ーー自分はそんなに太ってないから職を失ってもなんとかなる、と思いたいのでしょうか。

大和楽天的になりたいから“違い”を探すのかというと、そうともいえないところがあると思います。『失職~』に登場する行政側の人たちは、みなさん親切です。私は誰もが追い詰められる前に生活保護を利用したほうがいいといいたくてこの本を書いたので、申請の抵抗を少なくするためあえて親切さを強調したところはあるのですが、ネットには『この人の場合はケースワーカーがやさしかったから申請できたんだよね』という感想もありました。自分と違って特別にラッキーだったからに違いない、と」

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