慶應義塾大学広告学研究会学生らによる集団強姦事件「不起訴」は、司法腐敗を意味しているのか

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 昨年11月に慶應大学が当事者である学生たちに処分を下した直後、加害者とされる男子学生からの“反論記事”も出た。週刊誌「FLASH」(光文社)2016118日号に強姦を否定するコメントが掲載された。『女子学生は強姦されたうえに尿までかけられた、という報道があったが、「そのようなことはけっしてない」というのが、彼らの言い分』だという。とはいえ当時の記事には「女子学生が酩酊後、6人のうち2人が同時に彼女と性行為を始めた。その様子は、別の学生によって動画として撮影までされていたのだ」ともあり、酩酊状態のAさんに性交したことには間違いがない様子だ。それについて集団による準強姦だという見方になるのは当然である。

 それ相応の刑事責任を問われると見られていた中での今回の不起訴処分に疑問を呈する声が多いのも当然の流れといえるが、では起訴して裁判を重ねるのか、示談にするのかは当事者間の判断に委ねられる。加害者側がお詫びとして示談金を提示し、またその金額で応じる場合は、被害者側が加害者達に対して寛大な処分を求めることや、不起訴を求めることなどが条件にされる場合が多い。被害者側が示談に応じる理由は様々だ。もう忘れたいから終わりにしたい、または、その後の対応に誠意を感じたのでもう刑事罰までは求めない、または、いつまでもこの事を考えたくない、または、起訴されて刑事事件となれば裁判が終わるまで苦痛が続く……それ以外にもいくつだって理由は考えられる。被害者は必ず最後まで法廷で争う義務があるわけではないし、加害者を罰する役目を負わされているわけではないのだ。裁判は被害者にとっても多大な苦労を擁する。相手方の謝罪の程度や事件の内容、被害者側の精神的な体力などにより、幕引きの仕方は変わってくる。

 少なくとも昨年9月に合宿所を訪れたAさんは、6人の男たちと性行為をするつもりでそこに来たわけではなかっただろう。まして性暴力を受ける事態になるとは思ってもみなかったはずだ。抵抗不可能な女性を強引に襲うことは「セックス」と同義ではなく、暴行である。この事件の現場にいた6人の慶應大学男子学生がそのことを理解し、ひとりの人間に対して尊厳を欠いたことを心から反省しているよう願う。

(鼻咲ゆうみ)

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