40歳を迎え、好きな対象とセックスが結びつかない「処女の心境」に陥った/ペヤンヌマキ「男女逆転版・痴人の愛」インタビュー後篇

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ペヤンヌマキ:それは、実行に移したときじゃないかなぁ。処女の心理に戻っちゃったらなかなか実行に移せないですけど、「このままでは終わりたくない」という欲求が増したときに、一線を踏み越えられるような気がしますね。そのあとは、鑑賞時期が過ぎて実践もする現実的なところに行くのか、やはり鑑賞対象で留めておこうとなるのか、まだわかりませんが(笑)。

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ペヤンヌマキ:40代って、やっぱり恐ろしいですね。30歳になったときは、おばさんとよばれる年齢にはなったけれども外見の衰えなども感じなかったし、「脂がのってきて女盛りだぞ」くらい思っていたんですけど、40を過ぎたら外見の衰えに対する危機感が増してきました。年をとるって、悪いことしているわけじゃないのに、年齢を重ねたこと自体が悪いことかのような罪悪感を、知らず知らずのうちに自分が背負って生活しているんじゃないかって。

その危機感は、心の奥底にずっとあるのかもしれません。夢に反映されるんですよね。こないだ、自分は恋愛と思っていい雰囲気になっていると感じていたのが、向こうはババァが寄ってきたと思って息を止めて我慢していた、という悪夢を見たんです。もう、絶望と「そうなっちゃったか自分!」っていう変な爽快感で目が覚めました(笑)。

おばさんと名乗る免罪符がない

――ブス会*で2011年に上演した「淑女」でも、おばさんの生態をモチーフにしていました。

ペヤンヌマキ:「淑女」を書いた時は35歳で、いま考えるとまだまだおばさんの危機はなかったですね。切実度が全然違う。

でも、自分がおばさ……「大人」になったという実感は(笑)、環境がそうじゃないから、実はむずかしいんです。結婚していないし子どももいないし、主婦のコミュニティにいるわけでもない。学生時代の延長で演劇を続けているので特にそうなんですよね。気分的にはあんまり変わっていないのに、年齢だけが20くらい変わっている、そのギャップに愕然とします。

たとえば結婚や出産をしている人はそこで環境がガラッと変わるから、受け入れるタイミングがあるのかもなって思います。小さいころ友だちのお母さんを「□□ちゃんちのおばさん」って呼んでいましたしね。それがないまま来ているので、おばさんと名乗っていいですよっていう免罪符がない。はたから見たらおばさんなんだろうけれども、自分はどこかで違うと思っちゃっている部分が、あきらめきれていないところなのかも。

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「男女逆転版・痴人の愛」稽古風景

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