
問題発言をした山本幸三議員(山本幸三公式サイトより)
「なんであんな黒いのが好きなのか」
「黒いの」とはアフリカ人を指す。11月23日、山本幸三衆院議員(自民党、前地方創生大臣)が三原朝彦衆院議員の政経セミナーでの挨拶で発した言葉だ。
三原議員は長年にわたってアフリカ諸国への支援活動や文化交流をおこなっており、現在は「日本・アフリカ連合友好議員連盟」の会長代行を務めている。三原議員のツイッター・アカウントのトップページにはアフリカの柔道選手たちに囲まれ、にこやかに笑う三原議員の写真がアップされている。安倍首相の2014年アフリカ歴訪に同行し、コートジボワールでの毎年恒例の柔道大会を観戦した際のものだ。この時、日本のNPOから、柔道着100着の寄付と柔道選手の日本招聘支援も表明している。
これほどアフリカと深く関わり、アフリカの人々との交流を続けてきた三原議員を応援する場で、山本議員は「三原氏はアフリカが好きで、何であんな黒いのが好きなのか、と思っていた」と言ってのけた。アフリカ人および黒人への差別であると同時に、三原議員を傷付ける言葉でもある。
この発言についてメディアの取材を受けると、山本議員は「アフリカが『黒い大陸』『暗黒大陸』と表現されたことが念頭にあっての発言で、黒人を指して言ったわけではない」と苦しい言い訳をしている。
そもそもはアフリカ大陸の中でもとくに肌の色の濃い先住民がいた汎サハラ地区がヨーロッパ人によってBlack Africa( 直訳「黒いアフリカ」、訳語「黒い大陸」)と呼ばれた。やがて「未開の土地」の意味でアフリカ大陸全体をDark Continent(直訳「暗い大陸」)とも呼ぶようになったが、日本ではdarkを「暗黒」と訳したため、さらに差別的なニュアンスが強まったと言える。ただし古い表現であり、現在はあまり使われない。
この一連の発言について、日本アフリカ学会が山本議員に抗議文を送付した。抗議文には「アフリカを蔑視し黒人を差別する許しがたいもの」とあり、言い訳の内容についても「差別をさらに助長していることに、議員自身が無自覚」と厳しく批判している。
総理大臣による黒人差別発言
日本の政治家による黒人差別発言はこれが初めてではない。
昨年、丸山和也参院議員(自民党)が参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これは奴隷ですよ。建国当初の時代に、黒人・奴隷が大統領になるなんて考えもしない」といった発言をし、問題となったことは記憶に新しい。
発言当時はまだオバマ大統領の任期中であり、丸山議員はアメリカの人種問題が昔に比べて格段に改善されたと言いたかったのだと思われる。だが、オバマ氏の父親はケニア人であり、オバマ氏は奴隷の祖先を持っていない、というよく知られる事実を認識しておらず、かつ繊細な人種問題を語るにしては言葉の選び方があまりにもずさんであった。
こうした黒人差別発言は近年だけのことではない。1980年代には大物政治家による黒人差別発言が続き、国際問題にまで発展しているのだ。
まずは1986年、中曽根康弘総理大臣(当時)による、「知的水準発言」と呼ばれたものがある。自民党内講演で「日本は高度情報化社会、高学歴社会であり、もはやアメリカをしのいでいる」といった内容を語り、その中で、「アメリカには黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだ低い」「アメリカでは今でも黒人では字を知らないのがずいぶんいる」と、驚くべき発言をおこなっている。
発言は即座にニューヨーク・タイムス、LAタイムス、シカゴ・トリビューンといったアメリカの大手新聞で報道され、黒人団体、日系アメリカ人団体などが日本製品のボイコットを企画する騒ぎとなった。そのため、中曽根総理の謝罪文が駐米大使の手により米国議員と米国政府に届けられ、事態は沈静化した。
この事件から2年後に、またもや同様の黒人差別発言問題が持ち上がった。中曽根内閣では通商産業大臣を務めていた渡辺美智雄氏が、これも自民党内講演で「アメリカ人の経済観念」について語った際に、「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか、重大と考えるが、クレジットカードが盛んなむこうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」と発言。
この件でも米国黒人議員連盟から非難が出た。当時、総理大臣だった竹下登氏が謝罪文を出している。今でいうグローバル意識などまったく持ち合わせていないことが分かる発言だが、渡辺氏はこの発言の3年後に、なんと外務大臣を兼任する副総理に任命されている。
1 2