政治・社会

「なんであんな黒いのが好きなのか」〜山本幸三議員の発言にみる、日本人の黒人観

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黒人への偏見の出所

 上記はどれも政治家による発言であったために大きく報道されたが、日本には黒人への差別意識、偏見、理解不足が大いにある。以下は筆者が過去に友人知人上司などから直接聞いたセリフだ。

・「アメリカ留学する娘に『黒い人だけは連れて帰ってはダメよ』と言ってある」
・「アメリカで日本人女性が付き合ってる黒人男性はレベルが低いですよね」
・「私はジャズ・ファンだが、娘に黒人との結婚はさせない。苦労が目に見えているから」

 よくよく考えてみると、黒人がほとんどいない日本で、これほど黒人への偏見や差別があることは興味深い。ほとんどのケースは実体験に基づいたものではなく、メディアで見聞きしたり、他者から聞かされて得た情報によって派生した「イメージ」ではないだろうか。

 政治家たちと筆者の知人たちのセリフをから浮かぶ黒人像は以下となる。

1) 黒い
2)(元)奴隷
3) 知的水準が低い
4) 識字率が低い
5) 経済観念がない

 これらの実態を考えてみる。

1) 肌の色が他の人種よりも濃いのは事実
2) アメリカ黒人の多数が元奴隷であったことは事実。アフリカ人にはあてはまらない
3) アメリカでは人種差別とそれに由来する貧困が理由で平均学歴は低い
4) (3)の実情があるとはいえ、「字がわからない」レベルの非識字率は高くない
5) 極度の貧困であればクレジットカードは作れない。アメリカでは一般人の自己破産は人種を問わず「気軽」に行われる

 ただし、事実項目もすべての黒人にあてはまるものはない。白人と同じくらいに薄い肌の色の黒人もいれば、ハーヴァードやイェールなど一流大学や院を出た学者や企業CEOもいる。そこまで極端でなくとも、一般的なレベルの大学を出た会社員や公務員はたくさん存在する。

 だが、そうした「平凡な黒人像」は退屈なのだろう。メディアが伝えることはあまりない。吊るしのスーツにメガネで収支決算表と格闘し、子供の成績についてボヤく黒人サラリーマン像など誰も見たくないのだ。黒人に求められるのは「歌・ダンス・スポーツの凄まじいまでの才能」と「陽気さ」、もしくは「貧しさ」や「犯罪者」の荒んだイメージの二極両端のどちらかなのである。

 ミュージシャン、アスリートとしての黒人に憧れる日本人は多いが、それはいわばファンタジーの世界の黒人であり、実世界の黒人に対しては先に挙げたネガティヴなイメージを抱いている。よって、「自分はジャズ・ファン」で黒人ミュージシャンに憧れてはいるが、黒人と結婚すると非黒人の娘まで大変な思いをするであろうから、「結婚はさせない」となる。

差別と優越感のセット

 日本政府は第二次世界大戦でアメリカと戦った際、アメリカ由来のものを敵国文化として禁じてしまう。ところが敗戦と同時にアメリカン・カルチャーが怒涛のように流れ込み、日本人はそれを一気に飲み込むこととなる。だが、そのアメリカ・カルチャーとは白人文化を指した。当時の貧しい日本で、アメリカの豊かさを表す白人文化はポジティブに受け入れられた。白人の白い肌と金髪、碧い目の色はその象徴となった。

 他方、同じアメリカン・カルチャーであっても黒人文化は通好み(マニアック)とされることはあっても、主流にはなり得なかった。黒人文化に関心のない主流派にとってはネガティヴなものであり、その表象が黒人の肌の色となった。

 色は視覚で捉えるものだけに単純化されやすく、黒人のステレオタイプに貼られるレッテルの役割を果たすようになった。言い換えれば「芸能やスポーツに秀でて陽気ではあるが、貧しく、教育を受けておらず、いい加減で、暴力的」という黒人のステレオタイプを表すシンボルとして「黒い肌」がイメージされることとなった。これが今回の山本幸三議員の「なんであんな黒いのが好きなのか」が意味することである。このように認識のレベルが低い人々にとって、アフリカ人もアメリカ黒人も扱いはまったく同じとなる。他の3人の政治家の発言も同様だ。

 だが、差別の根底には対象者そのものよりも、自分自身が抱えるコンプレックスおよび優越感が居座っていると言える。

 肌の色は日本も含め、世界中の多くの国で人間の優劣のバロメーターとして使われてきた。他の人種がほとんど存在しなかった昔の日本にも「肌の白いは七難隠す」(色白だと顔の造作などに欠点があってもそれをカバーし、好ましく思わせる)という諺があり、同じ人種の中でも白いほどよいとされた。

 そこへ前述したように戦後のアメリカン・カルチャー=白人文化の流入が起こり、白人への憧れが生まれた。だが、日本人の肌の色は白人のように白くない。そのために生じたコンプレックスを、黒人の肌の色への優越感でしのぐことになった。「白人ほど白くはないが、黒人に比べるとマシだ」。これも政治家たちの発言の根底にある心理だ。そもそも黒人を知的、文化的に低い人種とみなしているので、肌の色との抱き合わせによるさらなる見下し、偏見、差別はごく自然に行われる。多くの日本人にとって黒人を肌の色による類型ではなく、一人の人間としてみることはまだ難しいのだ。

 なお、中曽根総理は「知的水準発言」について日本国内でも釈明をおこなっている。その際、「アメリカは複合民族なので教育などで手の届かないところもある。日本は単一民族だから手が届きやすい」と語っている。これについては当時、シカゴ・トリビューンが興味深い記事を掲載している。ここでは詳細に触れないが、「誇りと偏見:日本の単一民族性への確執」というタイトルが内容をよく表している。

 白人に憧れ、黒人を見下すと同時に日本を「単一民族国家」と捉え、民族や人種、言語が異なる者を日本人と認めない日本の精神性と風土。ここまで考え併せると、2015年にミス・ユニバース世界大会の日本代表となった宮本エリアナ氏(日本人とアフリカン・アメリカンのミックス)に対し、さまざまな批判、罵詈雑言が飛んだことも悲しいかな、納得できる。この件については、いずれ別の機会に書いてみたい。
(堂本かおる)

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堂本かおる

ニューヨーク在住のフリーランスライター。米国およびNYのブラックカルチャー、マイノリティ文化、移民、教育、犯罪など社会事情専門。

サイト:http://www.nybct.com/

ブログ:ハーレム・ジャーナル

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