
Photo by Ilaria gallo from Flickr
株式会社サイボウズ社長の青野慶久(よしひさ)さんが、夫婦別姓を選択できないことは憲法違反だとして国を相手取って訴訟を起こすと話題になっている(「生き方選ばせてほしい」サイボウズ社長)。
青野さんは結婚時に妻から「私は姓を変えたくない」と言われたため妻の姓に改姓、その後は旧姓を通称として使い続けてきた。しかし、株式の名義変更に約300万円がかかり、公的な文書はもちろん、クレジットカードや銀行口座など何から何まで手続きが必要で、非常に大変な思いをしたそうだ。海外のホテルにチェックインする際、予約名の「青野」とパスポートの名義が異なるために「お前は誰だ」と訝しまれたこともあるという。
その大変さは財布を一度でも失くしたことがある人ならある程度は想像がつくだろうか。
夫婦別姓については、2015年12月16日に最高裁大法廷が、民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」は「違憲ではない」という判決を下したばかりだ。
しかし日本には、婚姻関係にある両親の姓が異なる家族もある。かくいう私もそのひとりだ。私の両親は、母が日本人で、父がイタリア人の国際結婚なのだ。両親が結婚した当時、国際結婚では同姓を選ぶことができなかった(現在は申請をすれば同姓にすることもできる)。そのため私は父とは苗字が異なっているのである。今回はそんな“別姓の両親の子供”の立場から夫婦別姓について論じてみたいと思う。
夫婦別姓だと子供がかわいそう?
私は、母と父のふたつの苗字が並んで書いてある家の表札が好きだった。私にとってはむしろ最初に父親の名前が書かれていて、その後に続いて母親と子どもたちの名前がずらっと並んでいる表札や年賀状は「父親が一番。母親と子供たちはついてこい!」という感じがして少し苦手だった。
夫婦別姓に反対する人の中には、「夫婦別姓だと子供がかわいそう」「別姓だと一体感が損なわれ家族がばらばらになってしまう」といった主張をする人がいる。
同姓が当たり前の社会で、片方の親と苗字が違うことに子供が違和感をもつかもしれないと心配する気持ちはわからなくはない。 でも、案外子供からすると生まれたときからそうなので「そういうものなんだな」としか思わないのではないか。私もこれまで父と苗字が違うことについて疑問をもったことはない。私にとっては父と母の苗字が違うことが当たり前なのだ。
もし、子供が両親の苗字が違うこと、片方の親と苗字が違うことに疑問をもったときはその理由をきちんと説明してあげたらいい。みんな苗字が一緒なことが当たり前ではないということ、お母さんとお父さんにとってはそれぞれの苗字であることが幸せなんだよということ、お父さんやお母さんと苗字が違っても家族であることには何も変わりはないんだよということを。
自分の親が本当は嫌だと思っていることを強制されているとしたら、それこそ子供からすると悲しいのではないだろうかとも思う。自分の親が実は別姓にしたかったのに嫌々同姓にしていたのだとしたらどう思うだろうか。
私は両親が本当は同姓にしたかったのにできなかったのだということを知ったときすごく悲しかった。親が同姓ではないことを悲しいと思ったことは一度もない。でも、制度に阻まれ、両親が本当に望んでいた選択ができなかったのだということがとても悲しかった。
子供にとっては、そのほうがよっぽどかわいそうではないだろうか。
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