子供がいじめられるかもしれない。
子供がいじめられるのではないかと心配している人もいるかもしれない。少数派になることでいじめの標的になってしまうかもしれないという心配なのだろう。
でも、少数派だからといって必ずしもいじめられるというわけではない。私の学年には私を含めて1人か2人しかハーフの子はおらず、圧倒的な少数派だった。でも私はいじめられたことはない。それに、もし私の親が「ハーフだといじめられるかもしれないから」と考えていたら、私は生まれてないかもしれない。
そもそもいじめというのは、いじめる方が悪いのだ。いじめられる側に原因を探し、対策を求めるのは間違っている。それに夫婦別姓が導入されれば別姓にする夫婦が増え、親と苗字が違うなんて大して珍しいものではなくなるのではないだろうか。
家族の一体感がなくなる?
別姓だからといって家族との一体感がないと思ったことも一度もない。父と喧嘩をしたときに「私と父の苗字が違うから喧嘩になるんだ!お父さんはわかってくれないんだ!」なんて思ったこともないし、「やーい!お父さんだけ苗字違うから仲間はっずれ〜」と思ったことももちろん一度もない。
何でもって家族の一体感を築くのかは人それぞれだ。姓を同じにすることで一体感が増すと考える家族はそうすればいい。毎週金曜日はみんなでカレーを食べると一体感が増すと考える家族はそうすればいい。みんなで一緒にバンジージャンプをすれば一体感が増すと考える家族はそうすればいい。
青野さんはこの点について自身のブログでこのように述べている。
「一体感を高める手段はいくらでもあります。家族でペアルックなんか着たら、相当一体感が出ますよね」
よそはよそ、うちはうちだ。
別姓にしたい人は別姓にできる、そして同姓にしたい人はもちろん同姓にできる。ただそれだけのことだ。同姓にしたい人に「別姓にしろ!」と言っているわけではない。選択的夫婦別姓が成立しても同姓にしたい人の人生はなにも変わらない。今まで通りだ。むしろ、今まで嫌々夫婦別姓にしていた人や、同姓になるのが嫌で結婚できなかった人たちが別姓婚をすることであなたの周りにも幸せな人が増えるかもしれない。
「苗字どうする?」
夫婦別姓がすすまない背景には日本の男尊女卑、女性蔑視があると考えている。
制度としては現状でも婚姻時に夫か妻の姓どちらにするか選択することができる。夫の姓にしかできないなんてことはない。これ自体は女性蔑視ではない。
しかし日本では実に96%ものカップルが婚姻時に夫の姓を選択している(平成 28 年度 人口動態統計特殊報告 「婚姻に関する統計」の概況)。青野さんが顕著な例だが、姓を変えると数多くの面倒な手続きが必要になる。本当にみんなが自由に考え、どちらでも自由に選択できる状況なのであれば、こんなにも偏りが出るようには到底思えない。
婚姻時に「苗字どうする?」と相談する夫婦はどれくらいいるのだろう。知り合いの夫の姓を選択しているいくつかの夫婦にこの質問をしてみたがみんな答えはNOだった。相談の話が持ち上がらない=夫の姓なのだろうか。
本当は自分の姓にしたかったけど、夫側の両親からの反対をうけて、「なんだか夫に悪くて」、「周りから変だと思われるかもしれないから」、だから自分が姓を変えることにした。そんな話をいくつも聞いたことがある。
結婚をするなら同姓にしなければいけない。その制度や文化の裏で改姓することを押し付けられた女性たちはどれくらいいるのだろう。
夫婦別姓がなかなかすすまないのは、女性自身も含め多くの人が「女が変えりゃいいじゃん」「女が変えるものでしょ」と無意識レベルで思い込んでしまっているからではないだろうか。
「私はこれ。あら、あなたはそれなのね。素敵ね」
選択肢がたくさん用意されているというのはいいことだ。その分、迷う時間が増えたり、新たな問題が発生することはもちろんあるだろう。でも、やっぱり私は選びたい。選べる自由とそれを受け入れられる社会の寛容さがほしい。「私はこれ。あら、あなたはそれなのね。素敵ね」と言える社会であってほしい。
青野さんはこのように述べていた。
「同姓にしたい夫婦は同姓を、別姓にしたい夫婦は別姓を、当たり前に選択できる社会を目指して」
まさしくこれに尽きるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
さて、みなさんは選択的夫婦別姓の導入についてどう考えるだろうか。
それぞれが自分の幸せを定義しその通りに生きられる社会と、みんなの幸せが一律に国や社会から定義されその通りに生きるしかない社会。
もし、あなたが前者のような社会のほうがいいと思うなら、もしくは「別にどっちでもいい。他人のことなんか知らん」と思うのであれば、あなたは立派な夫婦別姓賛成派だ。
(もにか)
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