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ダルちゃん、インテグレート……「女性の抑圧」を描く作品のモヤモヤ分岐点は”誰に何を語らせるか”

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根っからのクソ男のほうがまだマシ?

 ただ、「自分の足で立つ」ということに、男性キャラの助言ではなく、ヒロインたち本人が自分で失敗しながら気づくほうが、すっきりするのではないでしょうか。

 そういう意味で『民衆の敵』の小出は、自分でそれに気づいていたし、そして彼女にそんなエピソードを聞かされる藤堂が、彼女に対して偉そうに上から目線で助言をしないところも、よくできていたと思いました。

 一方の『ダルちゃん』では、スギタはミソジニー持ちのクソ男であるという明確な意図をもって作者が描いていると思われます。だからこそ、見ている私たちは、「スギタうるせー」とか「スギタは本当にひどい男だ」と感じることができるし、『ダルちゃん』という作品が単なる女性のミソジニーを増幅させたり抑圧するために描かれた作品ではないと、大方の読者には理解されていると思います。

 以前とりあげた伊藤くんAtoEもまた、クソ男をきちんとミソジニーを持ったクソ男と描くことで、女性が同性に感じていたミソジニーという呪いから解き放たれる様子を描いていました。ダルちゃんもきっと、ハッと自分が抑圧されていることに気づき解放されるのではないかと予想できます(『伊藤くん』でも『ダルちゃん』でもクソ男は、女性が処女であると知ったときの反応が同じなのも興味深いものがあります)。

 こう見ていると、フィクションに限って言えば、したり顔で「女の子はかわいいを卒業してしっかり立て!」と鼓舞するキャラクターよりも、まだ根っからのクソ男のほうがマシにも思えてくるほどです。

 なぜなら、女の子扱いされるのは25歳までなどと女性に呪いをかけたのも男性社会なのに、その呪いに無関係な顔をして「呪いを解くのはオレの役割だ」と思っているようなキャラクターは、無意識に支配的であると感じるからです。この図式は、女性の活用とか、女性に輝けと言っているくせに、そのメンバーが男性だらけで女性がいないという構図にも似ています。こうした構図にモヤモヤするのは、女性を輝かせるのも活用するのも救うのもそのヒントを与えるのも男性であるというおごりが見えるからなのではないでしょうか。

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