※編集部注:本記事は、2017年9月18日に行われた「SHIPにじいろキャビン開設10周年記念シンポジウム『LGBTコミュニティ、この20年のあゆみ』」の講演を記事化したものです。
みなさん、こんにちは。中京大学の風間孝です。今日は私が大学4年生のときに参加していた、同性愛者のグループ「動くゲイとレズビアンの会」(以下、OCCUR)のメンバーとして遭遇した「府中青年の家事件」について話したいと思います。私はこの事件に、1990年から97年の間、裁判という形で関わってきました。
最初にOCCURが結成された1986年当時の同性愛者を取り巻く状況についてお話をします。例えばフェミニストの上野千鶴子さんは『女という快楽』という本に、こんな風に論評をしていました。
「私は内在するヘテロ指向性を重視する。この見地から私はホモセクシャルを差別する」
また上野さんは、ゲイは女嫌いの人、レズビアンは男嫌いの人とも語っていました。ゲイであることを悩んだ時、性に関する思想を知ろうと思い、フェミニズムの本を読むことがあると思います。しかし当時は、そういった本にこのようなことが書いてあった。そうした時代でした。
また85年には、男性同性愛者がエイズの一号患者に仕立て上げられるという出来事もありました。その頃、男性同性愛者は献血拒否の対象になっており、疫学研究の調査の中で「ハイリスクグループ」として排除の対象ともなっていました。精神医学においても、「同性愛は異常性欲・性倒錯」とみなされていましたし、司法でも離婚に関する裁判の中で、同性愛者であった夫について「性的に異常な性格」と判決文に書かれていました。
これからお話する府中青年の家事件の裁判は、こうした時代背景の中で始まったということをまずはおさえてください。
「まったく疲れちゃったよ」
ことの発端は、1990年2月11〜12日に、OCCURが東京都府中青年の家で合宿をしたことに始まります。
当日は他にも、大学の合唱サークル、小学生のサッカークラブ、そしてキリスト教団体が府中青年の家を利用していました。私とOCCURの代表が、利用団体のリーダーが集まるリーダー会に参加したとき、自分たちは同性愛者の団体であり、同性愛者の人権のための活動をしていると自己紹介しました。その場では取り立てて反応はなかったのですが、その後、廊下を歩いていた高校生のメンバーがキリスト教団体の人から「こいつらホモ」と言われる出来事が起こります。その高校生は、記憶を辿ってみると、お風呂場を覗かれて笑われるなど、実は他にも嫌がらせを受けていたことに気づいていきます。
「OCCUR」という名称で府中青年の家を利用していたので、リーダー会参加者以外のひとは、私たちが同性愛者の団体であるとはわからなかったはずです。つまり嫌がらせはリーダー会がきっかけとなって起きたことになります。そこで、私たちはリーダー会を主催した府中青年の家側に臨時のリーダー会を開くよう求めました。不在であった所長の代理で対応した係長は非常に物分りがよく、私たちにこんなことを言いました。
「私は長年障害者の問題に携わってきたから君たちの問題もよくわかる。君たちの要望にそって対処しましょう。他の団体がリーダー会での自己紹介をどのように伝えたのか調べます」
いま振り返ると、府中青年の家で受けた嫌がらせは、明らかなセクシュアル・ハラスメントです。これまでセクハラに関する事件に携わったことがありますが、加害者は大概、自分の加害行為を認めません。府中青年の家事件でも同様でした。他の団体に話を聞いた係長は「他の団体はそんなことを言っていない」と私たちに報告し、さらに「君たちのせい」と直接的には言わなかったものの、「まったく疲れちゃったよ」と言いました。
この発言にOCCURのメンバーが怒り「こんなことで疲れていたら、わたしたちは20年間疲れてきたんだから、首を吊ってますよ」と発言すると、係長は「そんなこと言ったら社会から孤立するぞ」と言って部屋から出ていってしまいました。
その後に開かれた臨時のリーダー会でキリスト教団体の2名は、「リーダー会以外で同性愛者の団体が来たことは話していない。服装や素振りで同性愛者だとわかったのかもしれない。女装していれば誰だってそう思う」と言いました。しかし私たちは女装していたわけではありません。さらにその2名は「同性愛者は誤った道を歩んでいる人びとです」、「女と寝るように男と寝るものは憎むべきことをしたので必ず殺されなければならない」と聖書のレビ記を読み上げはじめました。
当然、我慢できるようなものではありません。しかし私たちがどんな気持ちになったかを話したいというと、係長にそれを遮られるなどされて、頭にきた私たちは席をたちました。こうして青年の家での合宿は終わりました。