「青少年の健全育成に正しくない影響を与える」
一週間後、メンバーで集まって今回の事件をどう受け止めるかを話し合いました。嫌がらせを受けた当事者は、他の団体からの嫌がらせも我慢できないが、むしろ係長の行為のほうが許せない、と言っていました。係長は「障害者の問題に携わってきたから君たちの問題もよくわかる」と言いますが、少数者の問題として重なるところはあっても、障害と同性愛は別個の問題です。他の団体からの嫌がらせはもちろん我慢できるようなものではありませんが、むしろ知ったかぶりをして対応した係長に私たちは強く怒ったといえるでしょう。
1ヶ月後、事件当日は不在だった所長と交渉をもつことになりました。所長がそこで述べたのは、「府中青年の家で起きたことはいたずらや嫌がらせだったかもしれないが、差別ではない」「職員の対応は適切だった」「青少年の健全育成に正しくない影響を与えるので、次回からの利用はお断りしたい」というものでした。
所長のこうした対応に接して、OCCURのメンバーだけでは限界があると思い、中川重徳弁護士に代理人を頼み、上の部署にあたる教育庁に連絡を取りました。しかしそこでも社会教育課長から「まじめな団体だっていってるけど、本当は何をしている団体かわからない」「イミダス(現代用語辞典、詳しくは後述)なんかをみると、OCCURも何のために青年の家を利用するんだか疑わしい」「お風呂場でいろいろあったっていうけど、そっちの方が何かそういう変なことをしていたんじゃないでしょうか」といったことを言われました。
最終的に1990年4月26日、東京都教育委員会での審議で、OCCURの府中青年の家の利用拒否決定がくだされました。
その際に東京都教育委員会が持ち出したのが「男女別室ルール」です。
「青年の家は『青少年の健全な育成を図る』目的で設置されている施設であり、男女が同室で宿泊することを認めていないが、このルールは異性愛に基づく性意識を前提としたものであって、同性愛の場合異性愛者が異性に対して抱く感情・感覚が同性に向けられるのであるから、異性愛の場合と同様、複数の同性愛者が同室に宿泊することを認めるわけにはいかない」
この決定のあと、『内外タイムズ』は「見たかゲイパワー 都庁仰天 レズと手を組んだ“人権闘争”のてん末」、『日刊ゲンダイ』は「ゲイに押しかけられた東京都の動転 施設を貸せ、貸さないで大騒ぎ」といった見出しで、都の利用拒否を報道しました。
提訴の際にとった3つの戦略
事件からほぼ一年後の91年2月12日、私たちは提訴を行いました。提訴に向け、私たちは3つの論点について話し合いました。
一つ目は、同性愛をどう表現するか、という問題です。
当時、同性愛については「異性への嫌悪が核となる感情」だとか、異常性欲、性的倒錯、性的嗜好、性的志向といった様々な表現が乱立していました。私たちは、同性愛と異性愛を対等であり、異性愛者が府中青年の家を利用できるなら同性愛者も使えるはずという観点から、どういう表現を使用するべきかを話し合います。その中で出会った英語の文献に使われている「セクシュアル・オリエンテーション」という言葉を、「好きになる方向性をあらわす概念だから、指向という言葉がいい」ということで「性的指向」と訳し、訴状に書き込むことにしました。
二つ目は、男女別室ルールへの反論方法です。
「そもそもなぜ男女が同室で泊まれないのか」と反論した場合、いつまでたっても「なぜ同性愛者は利用できないのか」という議論に行き着かない可能性があります。そこで、「男女別室ルール」そのものを問題にするのではなく、「複数の同性愛者はなぜ同じ部屋に泊まれないのか」に焦点を当てることにしました。男女、ジェンダーの問題ではなく、セクシュアリティ固有の問題として語るという戦略をとったわけです。
そして三つ目は、既存の学問的な権威に対しても取り組む、という点です。
裁判に勝つために、OCCURはメディア、学会、『イミダス』を出版している出版社、文部省に対しても働きかけました。最終的に、イミダスを出していた出版社はそれまで書かれていた「男性ホモの場合は脅迫的で反復性のある肉体関係がつきまとい、対象を変えることが多い」を削除し、「同性愛も異性愛も人間の性のあり方のひとつと考えるのが妥当だろう」という文言を付け加えます。広辞苑からは「異常性欲」という表現を削除してもらい、文部省の指導書では倒錯型性非行のページに書かれていた同性愛の項目自体を削ってもらいました。
ゲイ・コミュニティからのバッシング
提訴の際、私たちは顔と名前を出して記者会見を行いました。その結果、多くの同性愛者がこの裁判のことを知り、法廷には100人ほどの、同性愛者あるいは支援者が駆けつける様になったのだと思います。ILGA日本は、裁判を支援する決議をあげてくれました。
大手紙の多くは、この記者会見をもとにした報道を流しています。ちょうどその時、サンフランシスコでドメスティックパートナー制度(婚姻関係にないパートナーもカップルとしての権利を認めるという制度)が始まったこともあり、日米を比較する報道があった一方、ワイドショーやテレビニュースでは、正確さを欠いた、人権問題として捉えられていない報道がありました。例えば、「動くホモとレズビアンの会」という不正確な名称を使う。私と代表で受けたインタビューでインタビュアーが急に「お母さんがかわいそうだ」と泣き出す。バラエティ番組で「おかま特集」が組まれ、「ある事件を契機に立ち上がったおかまたちがいる。そのおかまたちは、『動くゲイとレズの会』」と流される、などいろいろです。
一方、ゲイ・コミュニティからも、OCCURに対する風当たりの強い反応がありました。
タレントのおすぎさんは『薔薇族』の連載で「私たちは同性愛者の団体ですって“青年の家”に泊まって親睦会をするなんていうのはいかがなもんでしょうねえ。この事件は、端から、公共施設を相手取って、団体の存在を宣伝したかったというのかしら…。それだと、ちょっと卑怯な手段をとったものね。」(「おすぎの悪口劇場」『薔薇族』90年8月号)と書いていましたし、ゲイバーで「裁判の支援をしている」と話した知り合いが、その場にいたお客さんからことごとく批判されたこともありました。「青年の家を利用し、そこで同性愛者の団体だと自己紹介したOCCURに問題がある」という風潮は非常に根強かったんですね。