先行するトランスウーマン。メディアにおけるLGBTの扱い方を振り返る【SHIP10周年記念シンポジウム】

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トランスジェンダーとメディアの歴史

 さて、LGBTがメディアの中でどのように扱われてきたのか? その歴史についてお話するために資料を集めてみたのですが、LGBについては資料がとても希薄で、体系的にお話するのは困難です。そもそも、日本では映像資料のアーカイブが極めて不十分で、残念ながら今日は、私が個人的に収集したトランスジェンダーの資料を使ったお話しかできません。

 トランスジェンダーが初めてテレビに出たのは、私が知る限り、テレビ放送開始(1953年)から10数年後の1960年代半ばだと思われます。1960年代後半にカルーセル麻紀さんが深夜番組『11PM』(日本テレビ・読売テレビ)に出演していたのを私は見ています。まだビデオ録画ができる以前のことで、映像としては残っていませんが。

 他にも、カルーセル麻紀さんのお師匠さんにあたる青江のママや、トランスジェンダーで銀座のホステスをしていた光岡優さんもテレビに出演されていました。60年代にトランスジェンダー的な人がテレビに出ていたのは、欧米諸国に比べて格段に早いと思います。さらに重要なことは、単なる笑いの対象としてではなく、「変わった人」「面白いことを言う人」という形で出ていた、ということです。

 80年代も末の198810月、フジテレビのお昼の人気番組だった『笑っていいとも!』に「Mr.レディー Mr.タモキンの輪」というコーナーが設けられ、毎週1人ないし2人のニューハーフ(職業的トランスジェンダー)が登場するようになります。ある放送回では、髪をくしけずるニューハーフさんの背後にタモリさんが忍び寄って髪に触ろうとするシーンがあるのですが、ここでの笑いの対象はタモリさんであって、ニューハーフではありません。「笑い」ではなく、ニューハーフの「女らしさ」「美しさ」に焦点を当てた取り上げ方でした。

 90年代前半になると、199210月に、上岡龍太郎司会の『ムーブ』という番組で「Mr.レディ50人が大集合」が放送されます。以後96年くらいまで、番組改編期を中心に、ニューハーフを出演者とする番組が数多く制作されます。

 大勢のニューハーフをスタジオに集め、笑いを取れるようなことをやらせ、スタジオのゲストが批評するという形式の番組で、集められるニューハーフも最初は50人だったのが最後には100人にまで増えます。大阪キー局で作られることが多かったので、ベティ春山、春野桃子、奥田奈津子、若き日のはるな愛ちゃん(当時は春菜愛)など、大阪のニューハーフが多く出演していました。これらの番組がきっかけになり「ナニワのニューハーフ」ブームという現象が起こり、ニューハーフという存在の社会的認知は大きく向上するのですが、同時に、ニューハーフ=笑いの対象というイメージが強くなってしまいました。

 お見せするのは、963月に、ニューハーフ番組の末期にされた「帰ってきたニューハーフ100人」という番組の一部で、ニューハーフに料理を作らせて幼稚園児に食べさせる「ニューハーフ100人 園児が選ぶ料理人NO1は誰?」というシーンです(編集部注:当日は番組の映像が流された)。料理を作ることが無条件に「女らしさの象徴」になっていたり、若き日のはるな愛ちゃんと別のニューハーフさんを対置して美醜を演出するなど、現代の感覚ではかなり大きな問題があります。注目していただきたいのは最後のスタジオ・トークで、女優の加賀まりこさんとヘア・ヌードを撮る写真家として有名だった加納典明さん、そして今は亡きタレントの飯島愛さんのやり取りです。

加賀「お父さんにもお母さんにもなれない、悲しいおかまたちじゃない。みんな子どもたちをみる目がとっても優しいのね。それが印象的だった」
加納「でもね、日本の将来が危ういな、うん」
飯島「そんなことない。あんたの写真集のほうがよっぽど危ないわよ」

 加納さんのコメントが、自分の意思で言っているのか台本に従ってなのかはわかりません。当時、この種の番組は、たいてい最後に、だいたい中高年のヘテロセクシャルの男性が、全部をひっくり返すようなコメントをするのが定番だったのです。それでバランスをとる構造なのですね。加納さんはその役を割り振られただけなのかもしれません。いずれにせよ、加賀さんにしろ加納さんにしろ、現代の感覚からしたら、かなり問題のあるコメントをしています。

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