「男性か?女性か?の前に、私はひとりの人間です」 届かなかった言葉の意味と、本末転倒な“多様性”

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陳列される身体

 自分の性器の他の人との違いに苦悩し、DSDsのひとつが判明したある女性は、診察室に入ると、多くの研修医が待ちかまえていました。「男でも女でもない珍しい症例」を見るためです。彼女は研修医に取り囲まれ、性器をジロジロと見られる中で触診を受けました。ある研修医がふと言いました。

「へえー。こんなふうになってるんだ…」。

 あるDSDを持つ女の子は、外性器の手術後、「その手術がどれほどうまく行われたか?」と、外性器をビデオで撮影されました。医師たちはニコニコしながら「大丈夫だから、大丈夫だから」と泣き叫びながら逃げる女の子を捕まえて、ビデオ撮影を続けました。

 生まれた時に外性器の形状でDSDが判明する赤ちゃんには、心臓や内臓など他の多発的な身体障害を伴っていることも少なくありません。ある赤ちゃんは当時の簡単な検査でも性別はすぐに判明しましたが、それ以上に他の身体障害にすぐに対応しないと生命が保たない状態でした。親御さんは赤ちゃんが生きながらえるかという恐怖と不安、それに健康に産んであげられなかったという罪責感に圧倒されていました。ですが、医師たちが親御さんに興奮して話したのは、あの外性器だと男児には小さすぎて女児としては大きすぎる、どうするか?という話でした。

 初潮が来ないことをきっかけに、XY染色体であることがわかったある女性(女性です)は、担当の婦人科医に、「あなたは外見が女性なだけで、自分を女だと思いこんでる」と言ってのけられました。そんな酷いことを何のセンシティブさもなく言ってのけることに、彼女は大きなショックを受けました。(この医師には、染色体みたいなものしか見えていなかったのかもしれません)。

 あるDSDを持っていることを告知され、混乱と不安と恐怖の渦にいた女性の前に、心理学者が現れました。心理学者が差し出したのは、自分がどれほど男だと思うか? 女だと思うか? 彼女の男らしさ・女らしさがどれほどのものか、男性・女性どちらがどれほど好きかを測定する質問紙でした。その心理学者は彼女のような人たちの研究から、社会が強要する「男・女らしさ」には意味が無いということを証明したいのだ、と言いました。彼女の不安と恐怖はさらに高まりました。

 性器の写真や全裸の姿の写真を撮られる人・子どもたちも少なくありませんでした。もちろん、複雑な手術の手順などを新しい医師に学んでもらうために、患者さんが麻酔中などに該当部位の写真撮影されるようなことはあり得ることではあるでしょう。触診も診断のためには必要です(それでも、なぜそれが必要なのかという十分な説明と、本人や親御さんの許可が必要でしょう)。ですが、昔はなぜか、患者本人の医療的には全く不要であるにも関わらず、子どもでも成人でも、全裸にされて全身の写真を何枚も撮られるということが少なくなかったのです。

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