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「大きなおっぱい」で辿る社会の変遷/安田理央『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』

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 タイトルに『〜の誕生』と銘打った本はかなり多い。学術書で言えば、たとえばアリエスの『〈子供〉の誕生』が有名だろう(もっとも、このタイトルは翻訳者がつけたもので、原題は全く異なる)。現在を生きるわたしたちが当たり前だと思っている現象や枠組みが、歴史上のある時点に生まれたものでそれ以前には存在しなかったと知れば、たしかに驚くし、知的好奇心も満たされる。

 ジェンダーやセクシュアリティに関する分野においては、『〜の誕生』本にはまた別の意義がある。すなわち、性に関して「本能」や「伝統」を持ち出して差別や抑圧を正当化する人に対し、「それは不変の本能でも伝統でもなく、歴史的産物だ」と言い返すための「武器」として、『〜の誕生』本は重宝されたのである。

 ただし、現在ではジェンダー・セクシュアリティ系の『〜の誕生』本のブームは一段落したようにも思える。面白そうなテーマがあらかた研究し尽くされたから、という理由もあるだろう。より根本的には、「歴史的産物」であるとの指摘は「本能・伝統論者」には痛手を負わせるが、「開き直って歴史的産物を守り、差別を続ける」人々には批判として届かない、と多くの論者が気づいたという理由もありそうだ。現在では「なぜダメか」それ自体を論じる作業が多くなってきたように思う。

 さて、そのような流れの中での『巨乳の誕生』(太田出版)である。同じ著者の安田理央が書いた『痴女の誕生』(太田出版)に匹敵する書名のインパクト。女性の「大きなおっぱい」への男性の欲望の形成史だとすれば、これはひさしぶりの『〜の誕生』系の名作の期待大である。そして読んでみたところ、なんとも知的好奇心をくすぐる複雑なストーリーに驚いた。

 鍵となるのは本書副題の「大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか」という問いである。本書の中から戦後日本の「大きなおっぱい」関連語彙を時系列順に抜き出してみると、「肉体女優」「(トランジスター)グラマー」「ボイン」「デカパイ」「Dカップ」そして「巨乳」となる。これらの言葉は、胸以外のどの要素までを包含しているのか、それが肯定の言葉なのか「若干バカにした」評価を含むのか、それぞれにニュアンスが異なる。つまり、「大きなおっぱい」への評価は、おそらく多くの読者が想定している以上に浮き沈みが激しいのだ。何より、そもそもそれ以前に使われていなかった新しい言葉によって「大きなおっぱいの魅力」がその都度再発見されていること自体、いつの時代も男は「大きなおっぱい」を欲求していた、とは決して言えないことを示している(一度「廃れた」からこそもう一度発見される必要があるのだから)。

 本書の最大のおもしろさは、単純な『〜の誕生』図式におさまらない浮き沈みを追う、この丁寧な歴史記述だ。「巨乳前/巨乳後」と単純に言い切ってしまう乱暴さをあらかじめ封じた本書は、帯で都築響一が指摘しているように「以後、おっぱいについて語る者は、この本を避けて通ることはできない」、そういう書物になっていると思う。

 また、各種メディアを横断しての分析も私には新鮮だった。本書の中ではアダルトビデオ、グラビアアイドル、女優などの固有名が列挙されるが、いわゆる「アダルトメディア」とそうでないメディア(の出演者)の間に不要な垣根を設けていない。セクシュアリティ研究ではどうしてもアダルトビデオ研究、アイドル研究とメディアや職業をあらかじめ絞っての棲み分けが起こるが、本書では各種メディアや各種の「出役」女性の表象を巨乳という観点から串刺しにしており、その縦横無尽さが痛快だった。

 もう一点、本書には実際の女性の胸の画像がほとんどなく(本文中には全くなく、巻末の「巨乳年表」にサムネイルが列挙されているのみ)、その意味で本文を読んでも女性の裸体を暴力的にまなざさずに済むことも私には助かった。

「実際の理想のおっぱいの形の変遷こそ歴史記述にとって重要」という意見もあるだろうし、そもそも画像なしの方針は肖像権などの問題で消極的に選択されたものかもしれない。しかしそれでも、「大きなおっぱいの魅力について熱く語る本ではない」と自己定義するこの本が、「男のエロ目線」に供さないつくりになっているのは、大事なことだと私は思う。

 最後に一点だけ、気になることについて述べておきたい。本書にはみずからを「ましてや、おっぱいを通してジェンダーについて考える本でもない」と説明するくだりがある。あれ、「男性の女性に対する一方向的な性的欲望」について調べて書いている時点で、もうこれは「ジェンダー」の話ではないのだろうか。安田と私では「ジェンダー」という言葉に込めているニュアンスが違うらしい(そもそも、著者の安田からすれば、本書をジェンダーやセクシュアリティに関する学術研究の系譜の中に位置づけて紹介する私のスタイル自体、首肯し難いかもしれない…だとしたら大変すみません)。

 「ジェンダー」という言葉で何を指すかを議論しはじめると、ここからまた論文一本分の文章を書かなければならなくなる(しそれで終わるかもわからない)のでそれは端折るが、しかしたしかに、本書の記述には、ここまで緻密に調べて書いたならそのまま言ってしまえばよいのにと思う、「ジェンダー」に関するある要素が存在しない。つまりこういうことである。本書には「女性の胸の2つの脂肪の塊に、男性はここまで悩まされ、振り回され、夢中になってきたのだ」という記述がある。私だったら、この文の後にこう付け加えたい衝動にかられる。

「そして男性のこの移り気な欲望に、女性はもっと悩まされ、もっと振り回されてきたのだ」

 そう、本書でなされるのは徹頭徹尾「男にとっての女性の理想のおっぱい」の話であって、「男におっぱいを値踏みされる女性」の話ではない。男女の関係の非対称性そのものについては触れていないという点で、たしかに本書は「ジェンダー」の本ではないのかもしれない。だとすれば、男性が女性のおっぱいに託す形で自らの欲望にどのように立て籠もったのか、そんな観点(「ジェンダー論的」な?)から本書を読み解いてみても、また面白いかもしれない。

森山至貴

1982年神奈川県生まれ。現在、早稲田大学文学学術院専任講師。専門は社会学、クィア・スタディーズ。主著に『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)がある。(写真撮影:島崎信一)

twitter:@sankaku_queer

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