
Photo by 赵 醒 from Flickr
台湾旅行へ行った時に驚いたのは、普通のコンビニにさまざまな日本のファッション誌が並んでいることだ。東京から4時間で辿り着いた異国の地では、そこかしこに日本の文化の気配を感じることができた。
台湾で生まれた彼女が日本に来たいと思ったのも、小さい頃から日本の文化に親しんでいたことが一因だったという。

今日の上京女子・あや(31)
今日の上京女子/あや 31歳 デザイナー
あやは台湾の首都・台北市で生まれた。父親は会社経営者、母親は専業主婦。何不自由ない生活を送っていた彼女は、幼少期から絵を描くことが好きな芸術家肌だった。両親からは、大学では経済学などの堅実な勉強をしてほしいと望まれていたそうだが、あやが選んだのは、台北の芸術大学での映画専攻だった。
映画という総合芸術に魅せられ、小道具や衣装などの制作に没頭していくうちに、彼女の中の「可愛いものを作りたい欲」がどんどん膨らんでいったという。そして同時に、昔から日本のファッション誌に親しんできたことや、祖父が日本人だったこともあり、「日本に行ってみたい」という思いも膨らんでいった。「日本に行こう」と決めてからのあやの行動は早かった。
芸大を卒業後、京都の語学学校を見つけると、一年間の語学留学を決めたのだ。
台湾出身女子が関西進出、ブランドを立ち上げるまで
日本の生活は想像以上に楽しく、一年はあっという間に過ぎていった。「日本に行ってみたい」という思いは、いつの間にか「日本で仕事をしたい」に変わり、語学学校卒業後は、日本での就職を見据えて、大阪のイラスト専門学校への進学を決めた。

あやのイラスト
専門学校を卒業後、就職活動を始めたあやは、2社目の面接で内定があっさり決まった。周りが羨むような大手企業でファンシーな文房具の企画部に配属された。「日本に来てからラッキーなことばかりが続くなあ」と浮かれていたが、入社して初めて、社会の厳しさを知ることになる。
日本語能力試験1級を持つあやは、日常のコミュニケーションで困ることはほとんどない。だが、仕事となれば話は違った。同僚が30分で書き上げるレポートも、1日がかりで取り組んでも書けないことがあった。敬語も間違えることも多かったので、電話対応も苦戦した。仕事は忙しく、1年はあっという間に過ぎた。そして、あやは1年で退職する決意をする。
「やっぱり商品企画だけじゃなくて、デザインがしたい」
そう感じたあやは、退社後すぐにアクセサリーブランド『Fruits torta』(フルーツタルト)を立ち上げた。ファンシーなイラストやアクセサリーには、あやが表現したかった世界観をたくさん詰め込んだ。

Fruits torta のアクセサリー
営業活動のかいがあって、徐々に販路を広げていたが、数年後には、「台湾に帰ろうかな」という気持ちが芽生えてきた。
「台湾でもアクセサリーやイラスト作りはできる。日本にいる必要はあるのかな」
迷っていたあやの気持ちを一変させたのは、ひとりの男性だった。
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