連載

「少女が支配によって救われる物語」が満たしているニーズとは?

【この記事のキーワード】

ケータイ小説に含まれる、「なるべく考えないようにしている何か」

 ケータイ小説とは、既存の少女向けコンテンツからはみ出るものを「ある程度」受け止めることができる場だ。ここでなら切り捨てられないですむ物語が少なからずある。だからこそ、その物語を求めていた女性たちにとって、ケータイ小説世界はひとつのコンフォートゾーン(居心地のいい場所)となり得る。

 しかしそこでは、「少女を救うのは、圧倒的な力を持つ男性の支配である」という志向性がむき出しになってもいた。ここに、現実社会の規範の再生産という側面を見出すのはあまりにたやすい。私が、ケータイ小説には危ういところがある、と思う所以である。

 むろん、フィクションはフィクションとして楽しもう、という視点は当然私も持っている。ケータイ小説における「溺愛もの」の書き手は、カップルの要望が合致しあい、「支配」がどこまでも「溺愛」として機能し続ける(ヒロインにそう感じられる)さまを描いているつもりのはずだ。だから、その創作意図やストーリーテリングを否定する気はまったくない。もっとみんなでケータイ小説のコードを作り変えていくべきだ、とも思わない。

 ただ、そういうこととは別に、私はこうしたケータイ小説の世界観を、もっと大勢の人に知ってもらいたいのである。それは、単純に「創作物としてすばらしいから」でも、「道徳的に問題があるから」でもない。「こうしたコンテンツで満たされているニーズとは何か」ということを、もっと大勢で考えていけたらいいなと思うからだ。

 ケータイ小説はかつて、ファン以外からはかなり激しい反発をくらったコンテンツである。私も嫌悪感をおぼえたひとりだった。でもそれは、「なるべく考えないようにしている何か」がそこに含まれていたからだと思うのである。たとえば昨今の「溺愛もの」に、「男性の支配こそが無力な女性を救う」という考え方――社会になんとなく再生産され続けてきた故に、性別問わず知らぬ間に内面化してしまっている規範がデフォルメされているように。

 だからフィクションについて語ることが必要なんじゃないか、と個人的には思っているのだが、よりによってケータイ小説について延々語りたいような人間なんてあまり多くないこともまたよくわかっている。当分は一人でぶつぶつ考えを述べていく予定だ。というわけで、「ケータイ小説とはそもそも何なのか」という、最初に立てた問いへの総括は次回。

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小池未樹

ライター・漫画家。1987年生。大学卒業後、郷土史本編集、テレビ番組制作、金融会社勤務などを経て、2013年よりライター・編集者としての活動を開始。企画・構成に『百合のリアル』(著・牧村朝子)や『残念な政治家を選ばない技術—選挙リテラシー入門』(著・松田馨)、著書に『同居人の美少女がレズビアンだった件。』『家族が片づけられない』(井上能理子名義)などがある。最近猫が足りない。

twitter:@monokirk

サイト:http://mikipond.sub.jp

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