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妄想食堂「メインディッシュの重圧」

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(c)飯塚めり

 コースの料理はなぜあんなにプレッシャーを与えてくるのだろう。ナプキンをかけたときには期待にお腹と舌を疼かせていたはずなのに、デザートのころには何もかもにうんざりしている。食べるのが遅くて胃が弱い。順序よく運ばれてくる皿に逃げ場を塞がれているような気分になって、どんどん体が強張っていく。

 前菜が一番おいしくてなごやかで、安心して食べられる。食べたくて食べていて、食べることを純粋に楽しめている。だいたいの場合冷たいものが出るから、冷めるのを怖がって急ぐ必要もない。冷たい何かをつるつると舐めるようにして食べているときが、一番心が穏やかだ。決してお腹を満たさない、舌を楽しませるだけの静かな戯れ。

 それがなくなってしまえば、後に続く皿はどんどん熱を帯びて重たくなっていく。温かい料理は冷めないうちに食べなければならない。運ばれてくる料理を滞りなく食べ切らなければならない。メインディッシュに近づくにつれて、焦りと重圧が増していく。最後まできちんと食べられるだろうか。苦しくならずにおいしく味わえるだろうか。胃のあたりがちょっとずつ苦しくなって、喉のあたりが塞がる感じがする。

 「食べたい」が「食べなければ」に変わっていってしまうのが悲しい。時折感じるウエイターの視線に急かされているような気がして、ナイフとフォークを繰る手を機械のように動かす。メインの皿が差し出されるころには、もはや食べることはただの義務になっていて、甘ったるい脂の匂いに胸が詰まる。どうしていつも最後まで楽しく食べることができないんだろう。

 私はコース料理が上手に食べられないし、セックスもうまくできない。コース料理で前菜が一番好きなのと同じように、セックスも始まりそうなときが一番なごやかに楽しめる気がする。互いの様子を伺いながら、続けてもいいしやめてもいい、終わりの見えないどっちつかずの気持ちよさに指先を浸す。それが「最後までしようか」になった途端、見えない糸のようなものが張りつめる。もう「したい」が「しなければ」に変わってしまった。お互いを快くさせていたはずの指や舌の遊びが、正しい部位に正しい部位を繋ぐための、ただの手段になってしまう。ちゃんと最後までできるだろうか。相手をがっかりさせる結果にならないだろうか。これでうまく繋ぐことができなかったら、ここまでの準備運動が無駄になってしまう。温まった体を冷まさないように。そう思えば思うほど、体が強張って動かなくなる。どうしていつも最後までできないんだろう。

 本当は食事もセックスも、アラカルトでぽんぽん頼めたらそれがいい。だけど実際、コースの方が楽といえば楽なのだ。安上がりだし、内容も流れも決まっているから、あれこれ悩んだり、おかしな選択をして居心地の悪い思いをしたりすることもない。前菜ばかり頼んで終わりにしたっていいはずなのに、それってなんだか変じゃないかなぁとためらってしまう。結局なんとなくでコースにして、間違えていないはずなのに苦しくなる。

 お腹を満たしたいのか、必要な栄養を取りたいのか、おいしいもので舌を楽しませたいのか、あるいは一緒の席に着いておしゃべりする口実が欲しいのか。食事をする目的はひとつじゃないし、そのときに食べたいものを、食べたいように食べればいい。メインディッシュがなくてもおいしいものはおいしいし、はっきりとした終わりがないセックスだって楽しいものは楽しい。とろりと冷たい食べものをゆっくり啜るように、穏やかな気持ちで触れ合うことができたら、それはきっと素敵だと思う。

餅井アンナ

1993年生まれ。ライター。食と性、ジェンダー、生きづらさについての文章を中心に書いています。wezzyでは連載「妄想食堂」などを執筆中。マガジンtb(タバブックス)にて心身の防御力低めな往復書簡連載『へんしん不要』も。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

twitter:@shokuniinsuru

http://shokuniinsuru.tumblr.com/

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