
左:あびる優Instaguramより
右:木下優樹菜Instagramより
女性芸能人が子を産めばおのずと“ママタレ”と呼ばれるようになるが、昨今のママタレ界で生き抜くのは苦労を伴う。ブログ、インスタグラム、ツイッターなどで情報を発信すると、常にそこに炎上のタネが潜んでいないかくまなく探され、批判の目に晒されてしまうからである。
一方、お手本として賞賛されるママタレもいるのだが、もともとタレントではなく俳優であったり、何か別の職能を持っていることが多く、またSNSツールをそれほど利用しない人が多い(芸能人としての希少価値を高める目的もあるのだろう)。そしてバラエティタレントやアイドル、グラドルなどは、前者のように炎上のネタ探しをされる対象としてのママタレに属することになる。昨年もそんなママタレを槍玉にあげたネット炎上現象が絶えない1年だった。その背景には共通の『理想の母親像』が潜んでいるのではないか。改めて振り返りたい。
ママタレが批判されるのは“母としてふさわしくない行為が認められたとき”、そして“家事に落ち度があったとき”に大別される。後者もある意味前者に含まれるが今回は別のものとして取り上げたい。
前者としての“母”像はおそらく、高度経済成長時代の専業主婦がモデルになっている。結婚したら仕事を辞め、家庭に入り、家事育児を一手に引き受け、もちろん夜遊びなどはしない女性が正しい“母”だとされる。これまでの人生で培った仕事のスキルなどを全て放り投げ、無償の愛をもって家庭に手間暇をかけるのが“母”という価値観だ。ゆえにママタレという存在自体が“結婚して子を産んだのにまだ仕事をしている”と批判されるリスクを常に孕んでいる。子供を預けて働く行為に関してはことのほか批判が集まりやすい。仕事ではなく子連れではない食事会や旅行なども目くじらを立てられやすいし、スキルアップなどはもってのほかだ。
後者については単純に料理が下手であったり、味付けの濃そうな料理を子供に提供している際に批判の対象となる。俳優が前者の炎上の的になりづらいのはおそらく、演技ができるという職能と、バラエティ番組で面白いトークをしているという職能についての差別が根底にあると筆者は見る。一般視聴者層にとっては俳優という職業の方がタレントよりもカーストが上なのだ。
また、ママタレが炎上から逃れる方法としては離婚をするという選択がある。これはおそらく、結婚して子供に恵まれる……という一般的な『幸せ』という点においてカーストが下がるという現象であるため、批判から免れることが可能になりやすい。とはいえ、それでも人により、たとえシンママになろうと言動に批判が集まることがあるので、なかなか難しい。