政治・社会

マツコ・デラックス「フェミニストは想像だけで性を語る超ブス」。だからフェミニストはセクハラ批判の資格を持たない?

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想像だけでセクハラ問題を語っているのは誰?

 マツコの主張では、カトリーヌ・ドヌーヴが生きてきたような「おしゃれな社会」では、権力を盾にした性暴力がまかり通ることになってしまう。「オシャレな社会」でセクハラ被害を告発しても、それは気の利いた「オシャレなセクハラ」なんだから、騒ぎ立てるような問題ではない、と処理されてしまうのではないだろうか。

 そもそも#metoo運動が再熱したきっかけは、ハリウッドの女優やモデルらが大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラや性暴力を告発したことだ。カトリーヌ・ドヌーヴと時代や国が異なるとは言え、ハリウッドもまた「オシャレな社会」だろう。告発後、アカデミー賞を運営する映画芸術科学アカデミーはワインスタインの追放を決定するとともに、「性的な搾取やハラスメントを見てみぬふりをする時代は終わった」という声明を発表しているが、これは「オシャレな社会」であるハリウッドで、長い間黙殺されてきたセクハラがもはや許容されないことを示している。

 また、マツコの認識に大きな誤りがある。「フェミニストの方も言ってる」という発言だが、セクハラの告発や批判をしているのはフェミニストだけではない。前提からして間違っている。

 その上、「セクハラをいままで受けたこともない、想像だけでセクハラを語っている超ブスなフェミニスト」という認識もまた、ステレオタイプかつ現実と乖離しているだろう。フェミニストを批判する際に「フェミニストはブスで男に縁がなくて、セクハラの被害に遭うような人間ではなく、口うるさく批判ばかりする存在(ゆえにフェミニストの言葉は聞くに値しない)」といったフェミニスト像を作り上げる人は少なからずいる(むしろそれが大多数かもしれない)。マツコもこうしたイメージを抱いているのだろう。

 しかしフェミニストの主張内容と、容姿やモテ、被害の有無は必ずしも関係があるものではなく、さらに言えば「セクハラを受けたこともない、超ブス」がセクハラの批判をしたとして、そこにどのような問題があるのだろうか。「セクハラを受けた経験のある被害女性」ならば現実を正しく理解しむやみな批判をしないはずなのに、「セクハラを受けたこともない超ブス」は現実知らずでトンチンカンな主張を述べている、と言いたいのかもしれない。

 何より、この発言は「容姿に優れているとされない人はセクハラ被害に遭わない」という思い込みに基づいている。セクハラ被害を告発した人間に対し、「お前みたいなブスがセクハラなんて受けるはずがない」といったセカンドレイプ発言はネット上によくみられる。痴漢その他の性暴力も同様だ。マツコもまた、レイプ神話を盲目に信じているのだろう。

 マツコは、カトリーヌ・ドヌーヴが謝罪したことに衝撃を受けているようだが、ドヌーヴは主張の撤回はしておらず、謝罪対象も性暴力被害者に限定している。彼女自身の主張は弾圧されてはいない。カトリーヌ・ドヌーヴは誤解を生んだ部分に関して訂正したまでである。それすらも「こんなことで謝罪してほしくなかった」と嘆くマツコは、一度展開した主張を曲げることは批判の圧力に屈したことを意味すると思っているのだろうか。「オシャレ」であることに拘泥するマツコだが、マツコのセクハラ問題に対する認識と実際のセクハラ問題には、マツコのいう「想像だけでセクハラを語っている超ブスなフェミニストと、カトリーヌ・ドヌーヴの乖離」以上にとんでもない乖離がある。たとえば恋人でもない仕事関係者から唐突にホテルのルームキーを渡され、その部屋に行かなければ意欲を持って取り組んでいる仕事を失う、と優しく脅されるような屈辱と恐怖を、想像してみてほしい。
wezzy編集部)

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