
取り戻せない“女の子”の時代。Photo by Petra Bensted from Flickr
ピンク、パステルカラー、シフォン、レース。キラキラしたもの、ふわふわしたもの、ぬいぐるみ。甘いもの、お菓子。長い髪、スカート。私は子どもの頃からずっと女の子らしい、可愛いものが好きでした。でもあまり似合うわけではありませんでした。
「幼いころに性被害に遭った」というと、かわいい見た目の女の子だったのではないかといわれることがあります。しかし、けしてかわいい容姿ではなかった私はその意味がわからない小学校1年生のころから、知らない人に下着の中を触られるという性暴力の被害に遭いました。その後たまたま性的な意味を知り、自分がされたことの意味を早くに理解しました。小学生のあいだ、何度も被害に遭いました。
私は、自分が“女の子”期間を経ることができなかったと思っています。性別を意識しない期間が長く、性を求められず無邪気に安全に“女の子”でいられる時間を過ごす前に、性暴力によって“女”になってしまったのだと感じています。
「女の子」と「女」のあいだで引き裂かれる
そして、自分が好きなかわいいものが自分に似合わないことにコンプレックスを感じていました。私の考える“かわいい女の子”とは、“女”を求められずにかわいく着飾ってそれが似合っていたり、もともとかわいい容姿だったり、女の子らしいかわいい振る舞いをできる女の子です。
私は「“かわいい女の子”になりたい」という気持ちと、「自分の“女”を隠さなければいけない」という相反した気持ちに囚われてきました。“女”、“女の子”“かわいい”。それはとても主観的で曖昧なもので、自分だけでなく他者からの評価によっても変わります。それにもかかわらず私はずっと自分の“女”に悩み、振り回されて生きてきました。
「あなたが無防備だからいけないのよ」ーーこの言葉は呪いのように私に染み付いています。さまざまな人から言葉の端々で「あなたの振る舞いが無自覚に男を誘惑しているのだ」ともいわれてきました。被害者に責任を着せる理不尽なセカンドレイプ発言ではあるものの、たしかに私から性的な空気が無意識に出ていたのだとも思います。それはやはり、早い段階で性被害に遭ったことが原因なのかもしれません。私のなかにある未発達ながらも性的な部分が、まだその時期ではないのに無理やりこじ開けられて漏れ出ていたのでしょう。
男の子のようだった幼少期
私は3人きょうだいの末っ子で、兄ふたりと遊ぶことが多く、近所の同い年は男の子ばかり。ゲームをしたり、秘密基地を作ろうとしたり、探検をしたり。少年漫画を読んでミニ四駆などのおもちゃで遊び、男の子の中で育ちました。母はお花やお茶、絵画、ピアノなどを嗜む人だったから、本当は私を女の子らしく育てたかったんだろうなと思います。
しかし私の振る舞いは男の子のようで、顔立ちは兄弟では一番丸くて平坦。身の回りを整えるセンスがなかったのもあり、“かわいい女の子”ではありませんでした。女の子の遊びになじまない部分はあったものの女の子らしいことも好きではあったので、実際は男の子のようでもなく、性別があまり関係のない時期を長く過ごしました。
成長するにつれて女の子と遊ぶようにもなり、自分が女であることに強く違和感を感じた時期もありました。周囲もなんとなく男女で分かれていくようになり、男の子の中に入れない自分を悔しく思っていました。そう思いながらも、もともと勉強が好きな私はそのころ、本を読むのに夢中になり、小柄なわりに力が強かった私に勝負を持ちかけて殴りかかってくる男の子を鬱陶しく感じはじめていました。そのうちにいつのまにか距離が離れていきました。