
『女子的生活』(NHK)公式サイトより
1月26日に最終回をむかえるドラマ『女子的生活』(NHK)はトランスジェンダー女性である主人公・みき(志尊淳)の、アパレル会社勤務の生活を描いている。周りには、みきの部屋にとつぜん転がり込んでくる高校時代の同級生だった後藤(町田啓太)、会社の同僚のかおり(玉井詩織)と仲村(玄里)、みきと恋人関係になるゆい(小芝風花)らがいる。そう書くとかんたんなのだけど、とても奥深い。その要が志尊淳の見事な演技だ。
トランスジェンダーという存在は、その当事者の生きる社会において、生物学的性別と紐づけられた「男性/女性とはこう」という価値観にもとづく服装、振る舞いに違和感を持ったり、移行するもの、と言える。『女子的生活』のみきは、男性として生まれたけれど(実際は、子どもの出生時にわたしたちが「男/女の子が生まれた」と言うとき、外性器の形状による視認だけなので、「生物学的に女性/男性である」ということがきちんと調べられているわけではない)、レディースの服を着てメイクアップし、女性として振る舞いながら生活をしている。
そんななにげない生活のなかでみきは、「性別」についてのさまざまな価値観や慣習を分析し、わたしたちが当たり前のように共有している「性別」という属性は疑いようもなく存在するものではなく、ファンタジーである可能性を教えてくれる。
本作は、ジェンダーという視座を内面化した一般的なトランス女性が、世界を批評的に見るという、いまだかつてない傑作だ。と同時に、ひとりの働く社会人の仕事ドラマとしてもおもしろい。性愛や「じぶんらしさ」という人生における普遍的なテーマをめぐって、生きる苦さがほのかに通奏低音として響いていて、性別に悩みを抱えたことがない人にも届きうるとおもう。
「女性はスカートを履く」ことは自明ではない
『女子的生活』の第1話の冒頭からみきは、会社のPR業としてインスタグラムやツイッターのようなSNSに「きらきらとすてきに見える」写真をハッシュタグをつけて投稿し、肌寒い秋口だろうに「夏のおしゃれを使い尽くす」という薄着コーデを取り入れ、仕事に活かす服装をえらぶ。同1話でみきは、合コンを共に開いたかおりといっしょに、参加者のゆいについて「ほっこりナチュラル系な服装で手作りを重んじる生活観」だと分析し、そのかおりは男性モテを意識した振る舞い、テクニックを披露する。
男と女も、装ったり振る舞ったりするものだ、と考えることができる。その助けになる視点が「ジェンダー」だ。ジェンダーとは、かんたんに言うと社会・文化における性別の自認や表現を指し、つまり「わたしは男/女だ」(あるいはそのどちらと決めたくない、決められない)とおもうことだったり、男性的とされる服装や女性的とされる振る舞いを選択したり形成することだ。
男性であること、女性であることが疑いようもなく、明らかに存在していて、本質的に異なるものとする価値観は一般的だ。たとえば「男ってああだよね、こうだよね」「女はこういうときにこういうこと言うよね」といった発言を耳にしたことは誰でも一度はあるだろう。しかし、生物学的な男性と女性の差が身体上に存在するとしても、それらと、服装、振る舞い、言動などは本質、自然、当たり前というように紐づけられるようなものではない。
たとえばスコットランドでは伝統的な服装として男性がスカートを履く風習がある。わたしたちが生きているこの日本において一般的に共有されている「女性はスカートを履く」(男性はスカートを履かない)という価値観は、決して自明ではないということだ。わたしは今、フランス、ベルギー、ドイツを周遊しながら本稿を執筆しているのだけど、腕毛や薄い産毛を口もとに生やしたままの女性もいる。台湾、タイ、ベトナムにも何度か行っているけれど、特に身だしなみが悪いというわけでもなく、現代的な女性であっても、すね毛や腕毛を生やしている人はいた。