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映画『勝手にふるえてろ』の松岡茉優が、日本映画的な「女性」ではないことの素晴らしさ!

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『勝手にふるえてろ』   大九明子監督

 芥川賞作家・綿矢りさの同名小説の映画化。2010年の小説作品がなぜ今更?と疑問に思わなくもなかったが、見てみて納得、この映画には、監督が表現したかった等身大のこじらせヒロインを演じられる女優・松岡茉優が必要だったんだなあと感じた。『やすらぎの郷』とは全然違う、コメディエンヌとしての魅力と才能が爆発してました。

 24歳で24年間彼氏のいない地味なOLの主人公・ヨシカ。趣味は絶滅した動物をネットで調べることという、かなりの変わり者。しかし本人は、中学の頃から一途に片思いし続けている「1(イチ)」くん(もちろん告白などしたことないし、まともに話したこともない)のことを未だに毎日妄想するだけで十分に幸せになれるタイプ。

 そんな中、突然会社の同僚(空気が読めない強引なタイプ)「2(ニ)」くんに告白され、それなりにテンションは上がるも、好みじゃないし、そもそもイチじゃないし、とウジウジして自宅アパートのボヤ騒ぎを起こす。それをきかっけに、やっぱり死ぬまでに一度イチに告白しとこう! と決意し、かなりめちゃくちゃな方法で同窓会を開催、めでたく中学以来の再会を果たすのだが……。

 どこまでが妄想でどこからが現実なのか、わからないほどはちゃめちゃなヒロインの行動。ヨシカの言動はとにかく突飛で暴走しがち、そして性格がアレである。こんなヤツ友だちにおったらマジで引くわ……レベルの上から目線で自己中心的な身勝手さなのだ。が、はじめは彼女の脳内で完結していた世界が、映画が進むにつれ徐々に周囲の人間を巻き込んで、同時に彼女自身も巻き込まれて、もちろん観客も巻き込まれて、彼女の痛々しさや抱える孤独に共感を感じて応援すらしたくなってしまう演出は、お見事と言うほかない。物語が進む脚本と編集のテンポの良さ、思わず吹き出してしまう随所に挟まれた細かい笑いなど、監督が元お笑い芸人というのは大いに納得出来る(きっと芸人としても相当優秀だったのだろう)。

 そして、これはやはり監督が女性であることが大きいとは思うのだが、例えば大根仁監督『モテキ』でも、妄想が暴走する主人公は恋に恋して傷つき、映画の演出もミュージカル風やポップでトリッキーな編集など、今作と似てる部分が多々あるにもかかわらず、全然違うのだ。『モテキ』は最終的に「サブカル男子あるある」でしかなかったのに対し、『勝手にふるえてろ』が決してあるあるに留まらないのは、性格のねじ曲がったオタク女子をひとりの女(=人間)として捉える距離感の違いだ。『勝手にふるえてろ』は、「これがリアルだ」と思わずつぶやきたくなる感情の演出に成功していると同時に、どこまでも誠実な態度でキャラクターを表現している。そしてそれは、映画の持つ大きな力のひとつではないだろうか。

 なので、「松岡茉優ちゃんがイタいこじらせ系女子を演じてるラブコメ映画」と軽い興味で見に行った観客は、その本気のリアルに大やけどをするだろう(いわゆる「ラブコメ映画」という言葉には色々と複雑なものがあるが長くなるのでここでは説明を割愛)。

 さらに今作では、ヒロインのヨシカが、現代の日本映画ではほんとーーーに貴重なことに、男性がイメージするある種の女性、ではなく、主人公として主体的に生きているのだ。

 こじらせたオタク女子でも実は一途な女の子、処女は大切な人に捧げ隊、みたいな(男性にとって)都合の良すぎる女性像には決して収まらず(それはもちろんイチやニなどの男性キャラクターも同様なのだが)、性格は悪いけど繊細だけど臆病者だけど大胆だけど乱暴だけど憎めないけど……と、当たり前だけど、20代の女の子がひとりの人間として描かれている、それはそれは稀有な映画なのだ(なんなら、『やすらぎの郷』では老人たちの癒し系として奮闘するもある日突然暴走族に回された挙句泣き寝入りする女の子だった松岡茉優が、だ)。そしてそれが、観客、特に若い女性にとって、イタいを通り越した共感、「リアル」となっているのだろう。

(ところで、私にはいわゆるOL経験がないのでわからないのだが、職場でのお昼寝タイムというのは一般的なものなのだろうか? ああいう時間に同僚と恋バナをするのはなんとも微笑ましくて羨ましい)

gojo

1979年大阪生まれ。立教大学社会学部卒。
映画芸術、ユリイカ、boidマガジン等に寄稿

twitter:@gojo445

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