社会

「男・女らしさ」「性自認」論争の中で、死さえも利用され続けた一人の男性

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 ちなみに、僕はあまり興味がありませんが、性別同一性の生得因・環境因はどちらが優位なのか、性器なのか脳なのか、参考になるかなりクリアなエビデンスはあります。DSDsのひとつで生まれつきペニスや性腺などが露出した状態で生まれてくる男の子がいます(DSDsは「男か女か分けられない体」ではなく「これが女性・男性の体の作りだとする固定観念とは一部異なる体の状態」です)。欧米ではこのような男の子たちの多くが、マネーの「治療」プロトコルに従ってペニスや性腺を切除の上女児として養育されました(つまり人工的に性同一性障害の状態を作るようなものです)。追跡調査された14「例」中、6「例」が男性自認、2「例」が曖昧な状態、6「例」が女性自認でした。つまり、男の子でも女の子に性転換すれば、43%は「成功」するということです。

 男の子だと分かっているこのタイプのDSDsの子どもを、一体何のためにわざわざ女の子に性転換して育てることを勧めたのか、僕にはよく分かりません(こういう「治療」を受けず男の子のまま育てられた人は、全員男性自認だったのです)。他のDSDsを持って生まれても男の子だと分かる赤ちゃんにも、ペニスの長さが引っ張って2.5㎝以下であれば、このような強制的な性転換が適応されることが少なくありませんでした。

 どうやら、ペニスがない状態では男性として不憫であるという規範が働いていたようです。そして、DSDsで生まれた赤ちゃんに対するこういった話は、世間には「中性なのに親が勝手に性別を決めている」という誤解・偏見で流通していきました。このような誤解もまた、「男性ならばこういう体のはず(ペニスがなければ男性とは言えない)」という規範・固定観念や、中性のようなものにいてほしいという社会的欲望が働いたのでしょう。

 あるいは、男の子と分かっている子どもを無理やり女の子にするという「治療」も、何の苦しみもないようにする「解決策」だったのかもしれません。障害を持って生まれた子どもの親御さんの、自分を責める気持ちはとても激しいものになりえます。子どもを健康に産んであげられなかった。この子の将来はどうなっていくのだろう。親と言えども誰でも同じ弱い人間の私たちです。そんな恐れと不安に苛まれる親御さんは、子どもを助けられると言われれば、なんでもしてあげたいと思うものです。

 「男の子を女の子にしてしまえば解決します!」「社会をこう改革すれば解決します!」「これは社会の進歩なんです!」。

 ですが、そういうことを言ってくる人には人間というものに対する如何ともしがたい傲慢さがあるように感じます。僕は、「外からやってくる力に耐え、不公平や不運や悲しみや誤解や無理解に静かに耐えて行く強さ」を持っている当事者家族の方を今ではたくさん知っています。

 それ以前に、人間は、統制された実験室の中の魚でも蝶でもマウスでもありません。何かの理念のための材料でもない。自分の体がどうなっているのか、これを訊くと親は傷つくのではないかと不安と恐れの中で問う子どもに、罪責感と恐れをたたえた眼で一瞬言葉を失う親。これは決して統制されるようなものでも、統制されるべきものでもなく、その両者の恐れと不安の眼、それこそが互いに相手を想う心があるという証明なのですから。

 想像力なき「うつろな人々」には、それが「進歩と解放を邪魔する阻害要因」にしか見えないのかもしれません。そしてそういう人々は、これからも猫の首を切り落とし、「大きな笛」を作り続けていくことでしょう。もちろん当事者家族にとって必要な治療法というものはあります。問題は性器をどうするかではありません。人間が切り落とされていることこそが問題なのです。

 幸いなことに、リベラルであろうと保守であろうと、伝統論者であろうとフェミニストであろうと、学者であろうとなかろうと、二元論であろうとグラデーションであろうと、そんなことは関係なく、どんな旗を掲げているかは関係なく、いつでも人間を見失わない人はたくさんいるのだということも今では僕も知っています。

 死者は決して答えることはありません。ですが、私たちはまだ人間を見失わないようにし続けることだけはできるのです。
ネクスDSDジャパン ヨ・ヘイル)

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