第60回グラミー賞は社会的メッセージの場となった〜女性・マイノリティ・移民・銃・トランプ

文=堂本かおる
【この記事のキーワード】

若者を自殺から救う

 ラッパーのロジックが年間最優秀楽曲賞にノミネートされた「1-800-273-8255」をパフォーマンスした際、ステージには大きく「1-800-273-8255」と書かれていた。全米自殺予防協会のライフラインの電話番号だ。人生に思い悩み、自殺を考えている若者がこの番号に電話することによって救いを得られ、命を落とさないようにと付けられたタイトルなのだ。

 曲の前半の歌詞には「生きていたくない」「今日、ただ死んでしまいたい」とある。中盤では苦しい葛藤が描かれ、しかし最後は「生きていたいとようやく思う」「今日、死にたくはない」「死にたくはない」で終わる。

 ステージにはたくさんの人たちが胸に「1-800-273-8255」とプリントされたTシャツを着て立っていた。実際に自殺を考え、だが、思いとどまったサバイバーたちだ。苦しんでいた当時のことを思い出したのか、涙をこらえられない女性もいた。

 パフォーマンス後のスピーチでロジックはこう語った。

「黒人は美しい。ヘイトは醜い。女性たちはオレがこれまで出会ったどの男よりも強く、大切だ」

 ロジックはトランプの「便所shithole」発言にも触れた。移民法の厳格化を思うように進められずに苛立ったトランプは、あろうことかハイチとアフリカ諸国を「便所shithole」と呼んだのだ。一国の大統領としてはもちろん、人としてあり得ない発言であり、米国内はもちろん世界中から大きな批判を浴びた。

「文化と多様性と、そして何千年もの歴史に満ちた美しい国々へ。あなたたちは “便所shithole” なんかじゃない!」

 ロジックは自国を「便所」と呼ばれて深く傷付いたハイチとアフリカの人々に語りかけたのだ。しかし中継では「便所shithole」の部分が消音された。こうした事態に備え、完全な生中継ではなく、数秒遅れで放映されているのだ。ロジックは事前にグラミー協会から過激な発言は控えるように言われており、本来は「あなたたちは美しい」と言うつもりだったが、本番でそれを変えたと賞のあとに語った。

※ゲイの黒人少年が家族にも級友にも受け入れられず、自殺しようとするミニ・ムービー風ビデオ

アーティストの使命 vs. エンターテインメント

 ロジックは過去のインタビューで、あるファンに「あなたの曲で命を救われた、ありがとう」と感謝され、自分には大きな影響力があることに気付いたと語っている。その影響力を最大限に使うために書かれたのが、この曲だ。

 ロジックが言うようにアーティストには強大な影響力がある。グラミー賞ともなれば視聴者数はアメリカだけで2,000万人だ。メッセージを発すれば、その内容が受け入れられるかはともかく、伝播はかならずする。そのポジションをアーティストがうまく使えば、間接的ではあっても社会に変化をもたらすことは可能だろう。

 一方、エンターテインメントは純粋に楽しみたいという声もある。また、アメリカは人種で聴く音楽が分かれているという事情もある。今回のグラミー賞は年間最優秀アルバム賞、年間最優秀楽曲賞など主要賞の候補者がほとんど黒人とラティーノという異例の事態となっていた。そのため「MeTooだの、黒人差別だの、めんどうなメッセージは聞きたくない」「そもそも黒人音楽に興味がない」層はチャンネルを合わせなかったはずだ。詳しい分析はまだ出ていないが、今年のグラミー賞の視聴者数が前年にくらべて格段に減ったのは、そのあたりが理由だと思われる。

 いずれにしても今年の最大の勝者はブルーノ・マーズだった。主要3部門を含む6部門にノミネートされ、そのすべてで受賞してしまった。マーズは「楽しい音楽」を追求するアーティストだ。伝えたいメッセージはあるにせよ、それを直接訴えるのではなく、歌とダンスを万人に愛される最上級のエンターテインメントとして提供し、人々をハッピーにすることこそが自分の使命と考えている。

 マーズの類まれな才能を考えると6部門受賞も妥当に思えるが、同時にこれほどまでに国全体が混迷しているトランプ時代に、社会的/政治的なメッセージを放つアーティストが主要賞を受賞しなかったことへの疑問も湧く。アート/メッセージ/エンターテインメント……この3つの比率はアーティストにとっても、受け手にとっても、永遠の課題なのだろう。

追記:今年のグラミー賞は女性のプレゼンスを押し出したように見えながら、女性の受賞者は例年同様、非常に少なかった。全84部門のうち女性が受賞したのは11部門、かつ受賞スピーチが生中継される主要部門では1名のみ(年間最優秀新人賞アレッシア・カーラ)のみだった。さらに年間最優秀アルバム賞候補者5人のうち、唯一の女性(ロード)のみが当日のパフォーマンスの依頼を受けていなかった。この件について早速#GrammysSoMale(グラミーは男ばかり)のハッシュタグが出回った。グラミー賞を主催するナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス(NARAS)代表のニール・ポートノー は「女性アーティストは step up(進歩、向上)しなければならない」と釈明のツイート。このツイートに対してピンクが「音楽業界の女性は “step up” する必要はない。初期から向上し続けている」と反論している。

(堂本かおる)

■記事のご意見・ご感想はこちらまでお寄せください。

1 2 3

「第60回グラミー賞は社会的メッセージの場となった〜女性・マイノリティ・移民・銃・トランプ」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。