冒頭にも書いたように私は幸せになりたいので、自分の人生をよくするするにはどうすればいいのか常にヒントを探しています。その一環として先日、英国の経済思想家、リンダ・グラットンの著書『ワーク・シフト』(プレジデント社)を読みました。
ものすごく平たくいうと「未来の世界で働くことには希望はあるでしょうか? ないでしょうか?」ということが書いてある本です。現在においても、お金さえたくさん稼げば幸せになれるというわけではありません。未来の世界ではそれがますます顕著になるとグラットンは言います。そんな世界でどのように働けば充実した人生を送れるかが本書のテーマです。
この本でグラットンは2025年の人々の日常生活を未来ストーリーとして2タイプ描き出してくれます。希望のないバージョンの未来と、希望のあるバージョンの未来です。
希望のないバージョンの未来では、テクノロジーの発展で24時間体制で仕事に追われる人々の様子が描かれます。ネットでのコミュニケーションがメインになり私たちは孤独に陥りやすく、経済格差が広がる困窮した暗い生活が予測されます。
日本ではまだ確立されていない働き方
希望のあるバージョンの未来では、働き方に “3つのシフト(変革)”が起こるとグラットンは書いています。主体的に働くことについて考え、実行に移し、その3つの変革を成し遂げた者だけが未来の世界で充実した職業人生を送れるのです。
phaさんのお話を聞くにしたがい、私のなかではある確信が強くなっていきました。それは「phaさんは、グラットンの書く “3つのシフト” をすでに実践している人なんだ」というものです。
“3つのシフト” のうち〈第3のシフト〉とはなんでしょうか(第1、第2については後述)。
〈第3のシフト〉が起こると、給料の額よりも情熱を傾けられる経験であるかどうかを仕事で重んじるようになる、とグラットンは言います。遊び・趣味と仕事がリンクし、それらがお互いによい影響を及ぼします。
グラットンはこうも言います。創造性の高い仕事をする人たちは、「遊ばなければ高度な専門技能が磨けない」と。未来の社会で〈第3のシフト〉を実践するのは、仕事と遊びの垣根を乗り越えた人たちだというのがグラットンの意見です。「仕事と遊びがあいまいになってきている」と語るphaさんの姿そのものです。
phaさんは、グラットンの言う未来の働き方をすでに実践している。けれど今の日本社会ではその働き方はまだ確立されてないからこれまで「ニート」を職業にしていたのだろうな、と思いました。
働かざるもの生きるべからず?
何らかの理由があって仕事を辞めるにあたって、一番ネックになるのは収入が減る、場合によっては途絶えることではないでしょうか。お金は物質的な生活を保障してくれるだけではありません。
お金のあるなしが精神的安定につながっている人は多いのではないでしょうか。私は職を失ってから痛感しました。いかに“収入がある”ことが自分の自己肯定感を支えていたかということを。今では価値観が変わりましたが、以前はお金を稼げない自分はものを食べる資格すらないと思っていました。
「働かざる者食うべからず」ということわざがあります。食べないと生きていけないわけですから、収入がない人間は生きている資格がない、と同義です。当時の私はこのことわざに縛られていました。恐ろしい価値観だったと今では思います。
その点、自主的にニートになったphaさんは、子どものころからお金を稼がないと生きていけないのはおかしいと思っていたそうです。彼はこういいます。
「僕がこういうふうに言えるのは、お金を稼いでいる人が偉いと思ってないからかもしれません」
そうです、以前の私は“お金を稼げる能力”と“人間の価値”を結び付けていたのですね。今思うとばかげています。phaさんは言います。
「仕事で稼げている人は、たまたま稼げているだけ。仕事が得意な人も、ゲームが得意な人もいる。仕事が得意ならお金がもらえるけど、それはたまたまだろうと思いますね」
「お金を稼いでいる人が偉い」と考えない人が、きっとグラットンの言う〈第1のシフト〉を経た新しい働き方にたどり着けるのだと思います。