
Thinkstock/Photo by Image Source Pink
政府の進める「働き方改革」に、仕事の“現場”からは不満の声が上がっているようだ。「週刊新潮」(新潮社)2月1日号が掲載した「キリギリス栄えてアリ滅ぶ 心ある大人がため息をつく『働き方改革』特集」に、“現場の声”が満載だった。
20時完全退庁が推進されているが「仕事が終わらないから一旦消された電気をすぐに着け、残業を始めている」という都庁職員。残業ができなくなって「始発などで翌日に早朝出勤」するようになったメガバンク行員。別のメガバンク行員は「外資系金融機関なのに日本だけ労働時間に寄生をかけられると、外国のライバルに太刀打ちできなくなる。“なぜ国のせいで自分の野心が妨げられないといけないのか”」と憤る。野村證券幹部いわく、「戦後の日本は資源もない中、懸命に働くことで発展してきたし、今後は少子化で、ますますそれが求められるのに」、つまり「働きたい人の権利侵害」だと憂えている。
低賃金長時間労働のブラック企業だけでなく、電通社員の過労自死、またNHK職員の過労死など、マスコミの過酷な労働環境にも目を向けられるようになった昨今。しかし「もともと電通はクライアントの要望に滅私奉公で応え、信頼を勝ち得てきた企業」とは広告代理店関係者の弁。リクルート社員は、新人時代こそ仕事に全力を傾け成長すべきだとして「一度も“モーレツ”をやったことのない世代が多数派になった時、会社がどうなるのか、とても不安です」と嘆き節だ。
「働き方改革」では、長時間労働の是正・雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保が明言され、「その他」として以下の項目を掲げている。
・柔軟な働き方がしやすい環境整備(副業・兼業、テレワークなど)
・病気の治療と仕事の両立
・賃金引上げ
・労働生産性向上
・子育て、介護等と仕事の両立
・障害者就労の推進
・外国人材の受入れ
・女性が活躍しやすい環境整備
・若者が活躍しやすい環境整備
・雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援
・人材育成高齢者の就業促進
・職場のパワーハラスメント防止対策
厚生労働省や首相官邸のHPには「働き方改革」についての説明がある。厚生労働省では、「働き方改革」を敢行する理由として、日本が<「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「育児や介護との両立など、働く方のニーズの多様化」などの状況に直面して>いることをあげ、<投資やイノベーションによる生産性向上とともに、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作ること>を重要課題に位置づける。「働き方改革」は、<働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現>し、上記の課題を解決に導くとされている。
首相官邸HPでは<多様な働き方を可能とするとともに、中間層の厚みを増しつつ、格差の固定化を回避し、成長と分配の好循環を実現するため、働く人の立場・視点で取り組んでいきます>。一億総活躍社会といわれても……と白けるところがないではないが、要するに「働き方改革」は、少子高齢化、格差社会、育児や介護による離職に伴う就労人口不足など、さまざまな社会問題打破につなげる取り組みといえる。労働人口が減り続ける中で、就労意欲はあるのに育児や介護があって働けない、長時間労働前提のために雇用にありつけないなどの人々が“活躍”(就労=活躍とするならば)するにあたって「働き方改革」は必要だろう。
一方で「週刊新潮」が指摘するような、「仕事が終わってなくても早く帰れ!」の号令ばかりで、タイムカードの退勤打刻後にも働き続けたり、自宅に持ち帰って残業するなどが職場で横行しているならば、働き方は全然変わっていない。ただその責任を「働き方改革」にあるとするのはおかしいだろう。業務効率が悪く負担が大きいとしたら、その改善責任は管理者にある。そもそも一律に残業禁止・オフィス消灯ではなく、各企業が部署ごとの業務内容を把握したうえで柔軟に「働き方」を判断していくべきだろう。その手間を省き、文句ばかり垂れる様は滑稽でもある。そこまで行政が“指導”しなければならないのか。
同記事でもっとも強い違和感を覚えたのは、「もっと働きたい」と訴える、日本を代表するトップ企業に在籍するはずの面々が、「自分さえ良ければいい」感覚しか持ち合わせていないのではないかという点だ。ふつふつと怒りさえわく。結局、自分たちにとってはこれまでの働き方で何も問題がないから改革などしたくない、ということだ。
“嘆き”の声を上げ、働き方改革を無意味だと切り捨てる彼らは、やりたい仕事にだけ専念できる環境を整えているのだろう。その立場からは、育児や介護というプライベート面での「仕事」と就労を同時期にこなしたい社員や、病気治療をしながら働く社員は彼らにとってはお荷物なのかもしれないし、ろくに仕事も出来ないくせに一人前の権利を要求するキリギリスに見えるのかもしれない。しかし「仕事にだけ専念できる環境」の人間が、実社会に今、どれだけいるか。自分さえ良ければいいらしい彼らの声が、働きアリの悲鳴にはとても見えない。むしろ天上から下々の者を見下ろして嘲笑っているようですらある。