イカれたバレンタイン 世界は女子校に学ぶことがある

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 学生時代、214日といえばチョコレートの海だった。私がモテてたわけではない。単に女子校に通っていただけだ。念のため重ねておくが、私が女子校でモテていたからではなく、チョコが女子校であふれていたためである。

 だれでもいやというほどチョコを食わされた。朝登校してクラスに一歩足を踏み入れた時点で、すでに「祭りの前夜」のごとき興奮が大気に満ちているのだ。みんなが手作りのお菓子をタッパーウェアに入れ、そわそわしている。フライング気味にチョコをポロリしている者もいる。

 授業を受けていても、甘ったるいにおいが充満しているので、あんまり腹が減らない。何も食べていないのに、すでに気分はお腹いっぱいである。そして昼休みになると、熾烈な祭りが繰り広げられる。それぞれがチョコを交換しまくり、食べまくる。私のように手ぶらでプロレスリング(教室)に入場してしまった場違いな者にまで「出どころ不明のガトーショコラ」が巡回してくる。

 華々しいステージは廊下だ。そこには憧れの先輩めがけて後輩たちが列をなしていた。学校で一番モテているバスケ部のキャプテンには長蛇の列が廊下のみならず階段まで出来ており、その列を見に行こうという有志ツアーがクラス内で組まれる始末。通常は学校へのお菓子の持ち込みは禁止されているのだが、この日だけはどうしようもないということで、終礼の時間にはひらきなおった担任教師が「スニッカーズ」を配っていた。スニッカーズってさ、すごく腹持ち良いよね。

 女子校を出て、世間のバレンタインというのは「しらふ」の世界なのだとはじめて気がついた。でも狂気の祭りの代わりに義理やヘテロセクシズム(異性愛を前提としたきゅうくつな枠組)があらわれた。残りは恋愛でできていた。女子校の頃だって恋愛の要素はあった。だけど大人になるとチョコに本命や義理といった名前がついてしまった。好きに恋とか友情とかの名前をつけるみたいに。人間を男とか女とかで分けるみたいに。

 今年、GODIVAは「日本は義理チョコをやめよう」という広告を出した。義理チョコに煩わされる女性たちの声を取り上げ、心からの気持ちを伝える歓びのためにバレンタインデーはあるのだから義理チョコはないほうがいいとGODIVAは言う。バレンタインデーを好きになってください、というメッセージだ。女子校のバレンタインもイカれていたが、チョコレート会社がこんな広告を出すくらいには、世のバレンタインもイカれているのかもしれない。やりたい人が好きにしたらええやん。むしろ世界は女子校のバレンタインから学ぶべきところがあるのではないか。

 ここだけの話、大人になってからのバレンタインが味気なさすぎるので、ときどき「214日だけなら自分は女子高生にタイムスリップしても良いかもしれない」と妄想することがある。制服も、純度99.9%の女子空間もニガテだったくせに、喉元すぎれば熱さ忘れるといったトホホな性格なのだが、それでももう一度「見たくないぐらいのチョコ」が見たい。

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