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カタがつかない!高められすぎた「セックスの価値」/『性表現規制の文化史』著者・白田秀彰インタビュー前編

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白田秀彰『性表現規制の文化史』亜紀書房(装画:山本直樹)

白田秀彰『性表現規制の文化史』亜紀書房(装画:山本直樹)

えっちの価値は下げた方がいい!

――昔日本では男性器、女性器は陽根、玉門というポジティブなイメージで呼ばれていたという第六章がすごく印象的でした。この本は猥褻という暗くじめじめしたイメージから明るいところへ引き出そうという意図があったのかなと思いました。

白田:元々日本人はそのへんに関しておおっぴらだったんだから、いまでももっとおおっぴらに語っていいんじゃないかというのはありますね。くだらないからけんかはやめろというのも、そういう意味です。ありきたりの性行為のありさまを隠すから、仕方なくエロ本やAVからかなり特殊な性的状況を描いた情報を仕入れてしまうわけで、ノルウェーの国営放送局が「ポルノではない『普通のセックス』」を放送したことが話題になっていましたが、ああいうのがもっとあってもいいと思うわけです。

――ただ「正しいセックス」みたいなものを公的な機関が規定してしまうのはこわいですよね。公に語ろうというのが、公に正しいものをつくろうというものになる危険はあります。

白田:それはそうですよね。西洋世界の歴史のなかでは「これが正しいえっちですよ」という規範が長くつづいていて、それが論争を呼んでいたわけですからね。でも日本では比較的ゆるかったんですよ。江戸時代の庶民の家屋の構造では、父母が性行為をしているのを子どもが見ないわけにはいきません。昔の庶民の感覚からすると、性生活はそんなに興味関心を引く特別なことではなく、日常の普通のことだったんだと思います。

現代は現実の性行為の前にAVとかエロ本で特殊な例を最初に見ちゃったせいで、歪んでる部分はあると思いますよ。ただそれは正しい性行為を知らないというよりは、「普通はこんなもんだよ」というえっちなことの相場観が失われているということなんだろうと思います。江戸の庶民はものごころついて第二次性徴がはじまると、だいたい性行為をしてたんですよ。いまは性行為をすることの価値が相当上がっている。性に対する欲望は、「ごはんを食べたい」という食欲と同じレベルのことだということを強く言いたいです。

――愛や恋に結びつけられて道徳的に語られることもありますよね。こだわり過ぎているという意味では処女の価値がすごく高められたり、他方では童貞がすごく蔑まれたりもします。

白田:いろんな社会システムと結合されすぎてるんですよね。僕はドリアンを食べたことがないけれど食べたいとはあまり思いません。えっちなものをそのレベルのことにできないかなと思うんですよね。童貞の問題についても、「えっちの存在は知っているけど、えっちをしたいとはとくに思わない」みたいな。そういうレベルのことにできないかなと思うんですよね。そのレベルのことが社会的、歴史的に複雑に絡みあって、ものすごく価値のある話になっちゃっているのがいやなんです。人間の基本的欲求のなかで、ここまでめんどくさい価値づけと紐づいちゃっているのはえっちの話だけですよ。

だからこの本で言いたかったのは、それほど大したことではなかった性というものが大したことになってしまった歴史を描くことによって、みんなに相対化してほしいなということなんです。何か重要な価値を持つと思われている性を相対化して、いろいろあるなかのひとつなんですよということを言いたいのかもしれないです。

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「えっちな話」の価値は歴史的に条件づけられたものであること、それを相対化するために『性表現規制の文化史』を書いた、と自身の執筆の動機についてふり返る白田さん。後編では性表現とからめて語られることの多い暴力表現についてお話していただいています。どうぞお楽しみに。
(聞き手・構成/住本麻子)

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