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映画『ナチュラルウーマン』 が描くトランス女性像 メディアで特異に扱われる人々も普通に生きている

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©2017 ASESORIAS Y PRODUCCIONES FABULA LIMITADA; PARTICIPANT PANAMERICA, LCC; KOMPLIZEN FILM GMBH; SETEMBRO CINE, SLU; AND LELIO Y MAZA LIMITADA

 2017年、世界三大映画祭のひとつベルリン国際映画祭で銀熊賞(脚本賞)を受賞し(コンペ部門では最高賞である金熊賞の候補にもあがっていた)、本年度の第90回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされている『ナチュラルウーマン』(セバスティアン・レリオ監督)が、224日から日本で公開される。本作の主人公は、チリ・サンティアゴでウエイトレスとして働きながらシンガーとしても活動するマリーナで、トランスジェンダー女性、つまり生物学的に男性とされる身体を持ちながら社会、文化的には女性として生きる人物だ。

 マリーナを演じるダニエラ・ヴェガ自身もトランス女性ということもあり、注目されている向きもある。しかし、ヴェガはいくつかの映画祭で役者として受賞もしており、トランスジェンダーという属性が飛び道具的なものではなく、シスジェンダー(男女という身体の性別、性別役割、性表現に違和感を持たない)の役者たちと変わりなく演技で評価されているという証左だと考えられる。

 本作の原題はスペイン語で「すばらしい女性」の意で(「Una Mujer Fantástica」:英語だと「A Fantastic Woman」)、まさにその名の通り、ヴェガによってマリーナはたいへん魅力的な存在として構築されている。

トランス女性への蔑視を映画的飛躍で回収

 マリーナは、父親ほどの年齢に見えるオルランドと付き合っており、誕生日をいっしょに祝っている。しかし、その夜オルランドは体調不良を来たし、そのまま帰らぬ人となってしまう。この件をきっかけに、マリーナはオルランドの元妻・ソニアや息子・ブルーノと接触することとなり、彼らの厳しい偏見、差別意識に晒される。こう書くと、「トランスジェンダーが厳しい状況のなか健気に生きるお涙ちょうだいもの」とおもわれるかもしれないが、本作はそのような枠には収まらない。

 マリーナは整った顔立ちをしていて美人だと言える。けれど、決して華奢でか弱い体格ではなく、引きのショットが全身を捉えると、肩幅の広さや筋肉質気味な腕や太ももなど、シスジェンダー女性と比べて目につく部位もある。こうした特徴を捉えてだろうか、トランス女性であることを侮辱する人物が本作にも登場するが、マリーナは決して屈しない。そのマリーナのタフで、しなやかな姿はダニエラ・ヴェガという器によってまぶしく受け止められている。

 また、セバスティアン・レリオ監督は、死んだオルランドの亡霊を登場させたり、そのオルランドのお葬式への参列を妨害するソニアらの抵抗にマリーナが立ち向かう様子などを、幻視的な映像として表現するといった手法を用いて人間くさすぎるドラマには仕立てず、映画のフィクション性を観客が楽しめるようなつくりにもなっている。

 とは言え、本作でマリーナが受ける差別や偏見は、現実にトランス女性が受けてもおかしくないほど生々しくもある。

 たとえば、予告編にも登場する、オルランドの死を「不審」と決めつけ、マリーナの職場のカフェにまで足を運ぶ性犯罪捜査官・アントーニアとの関わりだ。この無礼な捜査官は、父子ほどの年齢差もあってかマリーナとオルランドの関係を、お金のつながりによる身体だけの関係なのではと見なし、不躾にも質問を重ねる。「不審死には不審な人物が関わっているはずだ」と言わんばかりだ。

 また、ソニアは、元夫の車を返してほしいとマリーナと初めて会うが、自分を「普通」と定め、マリーナを「変態」と呼んだあげくに、「目の前のあなたを理解できない」として「キマイラ」(ギリシャ神話に登場する、ライオンの頭、ヤギの胴体、蛇の尻尾を持つとされる怪物)と名指す。そのうえ、マリーナという名前を尊重せずに、わざわざ「ダニエル」と男性名で呼ぶ。息子のブルーノも同様に、マリーナを異常者扱いする。

 トランス女性への偏見が暴力に変わり、被害を受けるという点はNetflixでシーズン5まで製作されている『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』(以下、OITNB)でも描かれている。シーズン3で、トランス女性で受刑者のソフィアは、「男がなぜここにいるのか」と同じ女性として見なさないシス女性の受刑者による蔑視にさらされる。この直接的な暴力描写は衝撃的だ。問題の再発防止のためにソフィアが懲罰房に隔離されるという展開は、騒動を起こしたわけでもないのにマイノリティに問題の原因が帰属されるという点で、『ナチュラルウーマン』でオルランドの死をめぐって「なにか怪しい」とマリーナが見なされてしまう状況とも、構造的に重なる。

 直接的な暴力ではないけれど、NHKで放送されていたドラマ『女子的生活』でも、主人公みきがトランス女性だからと向けられる、身体や人格に関する不躾な質問や不審者扱いといった、偏見や差別が描かれている。最終回では、みきを慕うマナミの婚約者・ケンイチが、「男性だから気をつけろ」という主旨でみきの身体の性別にわざわざ言及して「怪しい」と決めつけていた。シスジェンダーでヘテロセクシュアル(異性愛)が「当たり前」とされる価値観からすると、ジェンダーはトランス女性で、恋愛対象(セクシュアリティ)は女性のレズビアン、というみきの在り方がケンイチにとってはなじみがないから疑わしさを抱いているのかもしれないけれど、みきだって女性だったら誰でもいいわけではないはずだ。

 このように暴力を伴わずとも、トランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)と言える視線は、ざんねんながら現実にも日常的に存在する。

 『ナチュラルウーマン』でマリーナは、偏見に満ちた疑いによって、裸になって身体検査を受けることになるのだが、予告編でも見られるこの場面は、トランスジェンダー女性にとって何重もの意味で屈辱的だ。まず、裸になるというプライベートな場所の露出を意志に反して強いられること、次にそれが「トランス女性と恋愛関係の男性の死には何らかの異常性があるはずだ」という無根拠な疑いによるものという点、そしてシスジェンダー女性の胸や体格とは異なる身体を視認されるというコンプレックスも喚起される。セバスチャン・レリオ監督は、マリーナの心情をわかりやすく見せず、音楽などで悲壮に飾り立てたりしない。だからこそ余計に痛切に響く。

 しかし、この「トランス女性が裸になる」というネガティヴな意味づけが、価値の発見に転じられる重要なエピソードがラスト間際に仕掛けられており、トランス女性を一面的には収めない本作のフィクションとしての飛躍を活かす伏線ともなっていて、見事だ。

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鈴木みのり

1982年高知県生まれ。集英社『週刊プレイボーイ』編集者にナンパされ、2012年より雑誌などに記事を寄稿しはじめる。2017年より『週刊金曜日』書評委員を担当。第50回ギャラクシー賞奨励賞受賞(上期)ドキュメンタリー番組に出演、企画・制作進行協力。利賀演劇人コンクール2016年奨励賞受賞作品に主演、衣装、演出協力などを担当。2012年よりタイ・バンコクでSRSを受けるMtFを取材中。(写真撮影:竹之内裕幸)

twitter:@chang_minori

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