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天才数学者・岡潔と岡みち夫妻のドラマ、夫の偉業を「妻の愛」に回収している?『天才を育てた女房〜世界が認めた数学者と妻の愛』

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スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式‏Twitterより/読売テレビ開局60年スペシャルドラマ「天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~」

スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式‏Twitterより/読売テレビ開局60年スペシャルドラマ「天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~」

 日本人男性がノーベル賞を受賞したという報道には、妻の献身が添えられる。献身やサポートありきの二人三脚を美談として肯定的に報じ続けることに、メディア側は何の疑問もないのだろうかといつも不思議だった。223日放送予定の読売テレビ開局60周年スペシャルドラマ『金曜ロードSHOW! 天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』もまた、「妻の強靭でまっすぐな愛が、夫を文化勲章受賞にみちびいた」という感動ストーリーだ。

 ドラマ『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』では、天海祐希と佐々木蔵之介が夫婦役を演じる。数学の三大問題を解決した世界的な大数学者であり、文化勲章を受章した岡潔(おか・きよし)氏と、彼を支えた妻・岡みち氏の“愛の物語”が描かれるという。予告動画や番組公式サイトからは、誰からも認められなかった夫・岡潔を、いかに妻・みちが愛し支え信じぬき苦難を乗り越えたかがビシビシ伝わる。「ここまで人を愛し、信じぬくことができますか?」とあるが、そこまで人を愛し信じぬかなくてもいいと思う。

 さておき、孤高の天才数学者であったという岡潔の功績、それにたどりつくための生活を妻・みちが支えたことは確かなのだろう。岡潔は、1901年(明治34年)4月に大阪府に生まれ、1922年(大正11年)に京都帝国大学理学部入学。当初は物理学志望だったが2年次に数学志望に転向し、卒業後の1925年(大正14年)からは同大学で講師を務める。小山みちと結婚したのもこの頃である。1929年(昭和4年)に助教授に昇進、妻を伴って3年間フランスのソルボンヌ大学へ留学し生涯の研究テーマとなる多変数複素函数論と出会い、のめり込んでいく。

 帰国後、広島文理科大学助教授に就任し三人の子供をもうけるが、研究に夢中になるあまり講義をないがしろにしてしまい、学生たちが授業をボイコットしたこともあったという。1938年(昭和13年)には精神を患って事件を起こし休職、研究のみに没頭するようになる。1940年(昭和15年)に依頼退職、田畑や家まで売るなどして生活費に充てたという。ちなみに第三子は無職期間に誕生している。

 生活スタイルも独特だったという。一日一食しかとらず、「交感神経が締め付けられるから」という理由でネクタイや帯を付けず、革靴を嫌い夏場は冷蔵庫で冷やした長靴を履いていたそうだ。文化勲章受章時、岡に長靴を履かせまいと家族は苦心したという。研究に夢中になるあまり変人扱いされ、また研究論文もあまりに難解すぎてなかなか学会で認められず評価を得られなかった岡潔。貧乏を余儀なくされ、子供を抱えながら妻として生活を共にすることは確かに大変だっただろう。岡潔にとって妻の存在がなければいっそう困窮、また精神的に変調を来たすなどして功績を残すに至らなかった可能性は確かにある。

 ただ、前述のように、それをいま「美しい愛の物語」として語ることに、やはり納得はできない。女性が夫の夢をサポートする生き方も素晴らしいが、それが肯定的に伝えられることが一方で、女性がやりたいこと(やりたいこと=夫のサポートの場合もある)への道を閉ざす理由、能力を奪われる理由として機能する側面を持ってしまうからである。

 岡みち・岡潔夫妻の物語は、見方を変えれば、頼りがいのある妻が自由奔放な夫を守り抜くカッコイイ話でもある。つまり、男が大黒柱として女子供を守ってナンボという夫婦観からは逸脱している。だからこそ「夫の偉業を支えた内助の功」として回収してほしくはないと思うのだ。

中崎亜衣

1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

@pinkmooncandy

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