石原さとみが4年ぶりの主演舞台で見せたテレビドラマとは全然違う顔

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 劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像作品では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

 それは、終演してしまえば消えてしまい観客の記憶の中にだけしか残らないという、はかなさとも裏表です。人間の記憶は、どんなに大切に抱えようとしてもいつか薄れてしまうもの。それは、目に見え手に触れるものも同じで、時間が流れていく以上、変わらないものはありません。

 そんな、記憶をテーマにした作品が、現在上演されている「密やかな結晶」です。芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』(文藝春秋)や、映画でもヒットした『博士の愛した数式』(新潮社)の作家・小川洋子の1994年発表の同名小説を原作に、脚本と演出は映画『愛を乞うひと』『月はどっちに出ている』などの脚本でも知られる鄭義信(チョン・ウィシン)が手掛け、石原さとみが主演しています。

 物語の舞台は、時代も場所も定かではない閉ざされた島。その島では、ラムネなどの小物から鳥のような生き物、「愛している」という感情まで、ありとあらゆるものが少しずつ消滅していき、消えたものに関する記憶も、人々の中から失われていきます。

 石原さとみ演じる「わたし」は、昔なじみである「おじいさん」と2人で暮らす島で唯一の小説家。消滅が起きたらそのものは捨てるのが島の決まりであり、「記憶狩り」を行う秘密警察が取り締まっていますが、2人は「わたし」の亡くなった両親の思い出が詰まったものたちを密かに隠し持っていました。

さすがのチャーミングさ

 しかし島にも、消滅したものに関する記憶が消えない者たち=「レコーダー」が存在しています。「わたし」の担当編集者の「R氏」(鈴木浩介)、そして秘密警察の手にかかって死んだ「わたし」の母親もレコーダーでした。「わたし」は、母親の思い出と紐付けることでかろうじて覚えていられた、名前や用途もおぼろげな隠し持ったものたちについて「R氏」と話すうちに、心を通わせていきます。

 石原さとみの舞台への出演は、今作が4年ぶり。冒頭、リボンや香水など母親の残した愛らしいものとその思い出について「おじいさん」とわきあいあいと話す姿や、R氏に小説をほめられてクッションに顔を埋めて恥ずかしがる姿のチャーミングさは、さすが女性誌が選ぶ「なりたい顔」に殿堂入りするビジュアルなだけありました。

 が、セリフがどうも抑揚が少なく、かなり棒読み……。R氏への好意があることは話の進行から推測できるのですが、「わたし」自身から読み取れるかどうかは、ちょっと疑問でした。

 一方で、原作では「おじいさん」は本当に老人の設定ですが、今作では20歳の村上虹郎がキャスティングされています。見た目が明らかに青年であることで、「わたし」の血縁でもないのに彼女に尽くし見守ってくれる、人間を超越したかのような「おじいさん」の存在に、逆にハマっていました。

 また村上さんは発声が明瞭で、消滅したものの記憶が抹消される自分たちの現実を前に「忘れていくことは悪いことでない」と「わたし」を慰める言葉にも説得力があり、もしかして石原さとみよりもすでに技術が上なんじゃないかなという印象も……。

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