やがて、島中の人間の遺伝子を勝手に調査、登録が検討されるなど、レコーダーに対する秘密警察の弾圧が強まり、「わたし」は「R氏」を消滅したものたちをしまっていた自宅の隠し部屋にかくまいます。また、カレンダーが消滅したことで季節もなくなり、生活が困難になったことで、秘密警察ではない一般人たちも、その不満や不安をレコーダーにぶつけます。
記憶の消滅というファンタジーなモチーフなのに、理不尽で恐ろしい弾圧と、隠し部屋の中の生活は、ナチスドイツのイメージそのもの。記憶がなくなっても不自由しないと言っていたはずの一般人たちの思想の変化も、現実の社会でもいくらでも起こり得るものです。
内容は重いものですが、秘密警察のトップ「フォーゲット」を演じる山内圭哉のバリバリすぎる関西弁と、歌あり踊りありのコミカルな演出を挟むことで暗くなりすぎない点に、鄭義信のバランスの取り方の巧みさを感じることができます。
観客を惹きつける表情
とはいえ、隔離された空間で過ごし、小説が消滅したことで編集者としての仕事もなくなったと嘆き、「R氏」は「生きている必要もない」と暴れます。そんな彼を前にした石原さとみは、「やめて」というセリフこそ棒読みなものの、不安に苦悩する表情には思わず目が釘付けになりました。セリフを口にするよりも表情が、それも、悲しみや寂しさを表現するほうがより観客をひきつけるーー石原さとみの魅力は、以前の主演ドラマで取り沙汰ざたされた小悪魔っぽさではなくこちらのほうが大きいのかもしれません。
消滅が進むにつれ、人体の一部も消えるようになりました。今作では、実は兄弟であった「フォーゲット」と「R氏」の間にあった確執が、レコーダーである弟を迫害から守るためのフォーゲットの配慮から生まれたものだと明かされる、原作にはないオリジナルの場面が追加されています。
愛しているという概念が消えたはずの世界なのに、レコーダーではない「フォーゲット」に不器用な家族への愛があったことは、人それぞれが心の底で本当に大切にしている何かは、他者や自然災害などによっても芯からは奪われないものであると受け止めることができるのではないでしょうか。
すべてが消滅した世界に、記憶を保持した「R氏」は生き残ります。それは何もかもが失われた絶望ではなく、新しい誕生を示唆しているように思えました。舞台は、消えていく芸術です。はかないけれど、その余韻は“結晶”として心の中に残っていてほしいと感じました。
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