アメリカ永住もラクじゃない〜日本に里帰りした3つの理由

文=堂本かおる
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Thinkstock/Photo by katsuoumai

 2月の半ばに駆け足でニューヨークから故郷の大阪に里帰りした。目的は3つ。まずは姪の結婚式。併せて老人ホームに入居している母の見舞い。そして、息子に日本を体験させること。以下、2年半振りの日本での体験と、そこから考えたことを徒然に綴ってみたい。

姪の結婚式〜白無垢に感動

 20年ほど前に私が日本を発った時にはまだ幼稚園児だったはずの姪っ子が「結婚する」とLINEで連絡してきたのは昨年の夏だ。アメリカ在住者同士ではメッセンジャーを使っているが、日本在住者とはLINEが便利かつ確実なので利用している。今はそれぞれ家庭を持っている私の妹、弟、その配偶者も含めてグループ登録をしている。

 姪っ子とはささやかな、けれど忘れられない思い出がある。まだ幼い姪っ子の手を引いて、駅前の商店街まで二人だけで出掛けたことがある。何を買うためだったのかは覚えていない。

 夏だったように記憶している。姪っ子は急に真剣な表情で私を見上げ、「お話があるから座って」と言い、歩道にしゃがみ込んだ。わけが分からないまま、私も付き合ってしゃがんだ。姪は空を指差し、「UFOが飛んでくんねんで」と話し始めた。私はますます「???」となりながらも、UFOについて一生懸命に話す姪の話に耳を傾けた。「ちょっと変わった子やわ」と思ったが、計5人いる姪と甥の中では最初に生まれた子で、しかも唯一の女の子。私にとってはとても可愛い存在だ。やがて姪は電気工業系の高校に進んで周囲を驚かせ、今では就職して「電気メーターの性能向上のための実験」をしていると言う。

 その姪っ子が20代前半で早くも結婚するというのだ。しかも住吉大社という由緒ある神社での神式挙式。これは行かねばなるまい。私自身、神社での結婚式など経験がなく、興味津々となった。

母の見舞いに老人ホームへ

 姪の結婚式に、姪の祖母にあたる私の母は参列できなかった。4年前に父が亡くなり、一人暮らしとなった母は認知症の症状が出始めた。それでも私の弟夫婦や妹の助けによって一人暮らしを続けていたが、白内障の手術をきっかけに老人ホームに入った。

 術後は視力も回復し、身体的には健康であることから当初は式に参列する予定だったが、境内を歩く花嫁行列と、開け放しの寒い本殿での挙式は無理だと姪の母親である私の妹が判断し、欠席となった。その代わり、披露宴ののちに妹一家、弟一家、私と息子で老人ホームまで出向き、近くのファミリーレストランで母を囲んでの夕食会をおこなった。

 母は自分の子どもや孫の名前は忘れているが、全員が自分を大事に思ってくれていることは十分に感じ取っており、なごやかな楽しい食事となった。久し振りに会う私の名前も思い出せないが、そこは母娘。ファッションの話、かつて母が教えていた絵画教室の話などでそれなりに盛り上がった。

 思わず笑えたエピソードもある。夕刻に老人ホームから表に出ると風が冷たかった。母は帽子を持っておらず、風邪を引かれたら大変と私がかぶっていたコットンの黒い帽子をかぶせた。なぜだか母によく似あったので、「それ、あげるから」とそのまま置いてきた。思えばあの帽子、ニューヨークの黒人街ハーレムの露店でわずか7〜8ドルで買ったものだ。それを今、日本で母がかぶっているのである。

 背筋が凍る思いもした。母を老人ホームに送り、弟の運転で国道を走っていた時、なんと、老人が車道を歩いていたのだ。しかも逆走、つまり走る車に向かって。徘徊老人だ。弟は「よそ見をしていたら轢いていたかもしれない」と冷や汗をかいた。腰の曲がったその老人を保護したくともUターンもできず、車内から警察に通報して走り去るしかなかった。老人は寒い夜なのにコートも着ていなかった。家をこっそり抜け出したのだろう。母は(少なくとも今は)徘徊するほどの重症ではないが、管理の行き届いた老人ホームに入れることができ、幸運としか言いようがないとつくづく思った。

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