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椎名林檎や米津玄師を聴きながら浸りたい、ヒリつく連作短編集『1ミリの後悔もない、はずがない』一木けいさんインタビュー

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「私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかった全てが入っている」

 これはバンコク在住の女性作家・一木けいさんのデビュー作である連作短編集『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)に、椎名林檎さんが寄せた賛辞だ。

 椎名林檎さんが描きたかった全てが入っている……確かに両者の作品には、作品を受け取る人間のとても個人的で大切な記憶を強烈によみがえらせ胸をヒリヒリさせるものであるという点で、共通点があると感じた。椎名林檎さんのファンであるという一木けいさん本人に、創作について話を聞いた。

椎名林檎さんに背中を押してもらうような感覚で書き上げた

 1ミリの後悔もない、はずがない』には、5つの短編が収録されている。5章はすべてつながっており、章ごとに語り手の視点は異なり時代も違うのだが、群像劇として全体を読むことができる。全体を通してのヒロインと呼べるのは、第一章「西国疾走少女」の「わたし」である「由井(ゆい)」だろう。アルコール依存症となってしまった父、莫大な負債を抱え働く母、紛れもない貧困家庭に暮らす由井を、クラスメイトの「桐原」は、「もろく壊れやすい、大切なもの」のように扱い、由井は「かつて味わったことのない多幸感」に包まれる。けれど二人は、ある事情から離れ離れになってしまう。

 一木さんは「西国疾走少女」執筆時に椎名林檎さんの「閃光少女」を聴いていたそうだが、同曲からどのようなインスピレーションを得て「由井」の物語につながったのだろうか。

一木 執筆時、「閃光少女」からは本当に大きな力をもらいました。そもそもこの曲には何度も窮地を救ってもらっていたので、もはやわたしの人生の主題歌なんです。実際には書きながらというよりは、いったん書き上げて目を温め休憩しながら聴いて、それから書き直して、また目を閉じて聴いて、という感じでしたが。「閃光少女」の疾走感に並走してもらうような感覚で書き上げました。ですから正確には、「閃光少女」からインスピレーションを得たというよりは、力強く背中を押してもらった感じです。

椎名林檎や米津玄師を聴きながら浸りたい、ヒリつく連作短編集『1ミリの後悔もない、はずがない』一木けいさんインタビューの画像2

一木けいさん

 同作執筆のきっかけは、ある事件だったという。

一木 「西国疾走少女」は、2015年に寝屋川市で中学生の男の子と女の子が殺された事件がきっかけで書きました。会う人会う人に「あの事件どう思う?」「あなたはどんな中学生だった?」「中学生のころ夜に外へ出たことあった?」と尋ねている自分に気がついて、それはなぜなんだろうと考えていたら、すっかり忘れていた思春期の記憶が一気に蘇ってきたんです。それがあまりにくるしいものだったので、自分で自分をカウンセリングするように描きました。

 一方で、帯に推薦文を寄せてくれた椎名林檎さん、および椎名林檎さんの作品群には、かねてよりなみなみならぬ思いがある。

一木 林檎さんの曲をはじめて聴いたのは「正しい街」です。「百道浜も君も室見川も」というフレーズが耳に飛び込んできたとき、「エッ、嘘!」とびっくりしました。

というのも、わたしは生まれてから思春期に差し掛かる頃までずっと室見川のそばで過ごしていたからです。百道浜へもよく行きました。大人になってからその辺りを訪れることはありませんでしたが、そのワンフレーズを耳にしただけで、当時の思い出が一気によみがえってきました。

林檎さんの世界に引きずり込まれたのは、もちろん思い出だけに拠るものではなく、「百道浜も君も室見川も」という日本語の持つリズム感のうつくしさに胸を打たれたからです。そこからずっと、林檎さんの曲を聴いてきています。

『1ミリの後悔もない、はずがない』のゲラが出来上がる頃、「誰に読んでもらいたい?」と編集さんから尋ねられました。その瞬間、おでんのいい匂いがしていたことを憶えています。わたしは迷わず椎名林檎さんとお答えしました。

「じゃあ最初の西国疾走少女だけダメ元でお送りしてみましょう」ということになって、わたしの手紙を添えて事務所まで送らせていただきました。そうしたら、ほかの短篇も読みたいとご連絡をくださって。

林檎さんが帯にコメントを書いてくださると決まったとき、編集さんは東京で、わたしはバンコクで、くるくる踊ってしまうくらい悦んでいました。本当に光栄で、うれしかったです。しばらくのあいだは幸せすぎてまったく日常に現実味がありませんでした。

 では、『1ミリの後悔もない、はずがない』の各章に、それぞれ椎名林檎さんの楽曲を当てはめるとしたら……という無茶なセレクトを一木さんにお願いしたのだが、「ものすごく悩みましたが、すべてを林檎さんに当てはめるのは非常に困難」ということで、一木さんが各章に「ぴったり」だと思う楽曲を(椎名林檎さん以外も含めて)選曲していただいた。

閉ざされた家、開いて

 第二章「ドライブスルーに行きたい」では、中学時代に由井の友人だった「ミカ」が「あたし」だ。二股をかけて別の女と結婚した男と、それでも別れられず不倫関係を続けているミカは、中学でナンバーワン人気の大スターだったバレー部の「高山先輩」と偶然再会する。高山先輩はすっかり冴えないくたびれた男になってしまっていたが、その滑稽な邂逅はミカにほんの少しだけ変化を与える。

一木 米津玄師さんの「vivi」です。セックスしながら、高山先輩とミカは、それぞれ別の好きな人を思い出します。歌詞はストレート、メロディは混乱。そんな「vivi」が、高山先輩とミカにはぴったりでした。

余談ですが、わたしが米津玄師さんの作品をはじめて拝聴したのは「西国疾走少女」を書き上げたあとですけれど、桐原と米津さんのイメージは重なる部分がとても多いです。寡黙で喉仏がでていて骨っぽくて背が高くて……ある読者の方が、「Lemon」の歌詞が『1ミリの後悔もない、はずがない』のイメージにぴったりだったから、かけながら読んだと感想を書いてくださって、とてもうれしかったです。

 第三章「潮時」は、まったく違う二人の視点で交互に描かれている。由井の夫となった雄一と、中学時代に由井のことを嫌っていた加奈子。それぞれ結婚から1011年が経過している。雄一は幸福な10年を、加奈子は幸福を実感できない11年を過ごしていた。遠洋漁業に出る父親に捨てられたという記憶を持つ雄一は、死の危機に瀕して父のことを思う。

一木 喜納昌吉さんの「花」。この短篇でもっとも深く描けたらいいなと思ったのは雄一のお父さんです。沖縄、花、笑いなさい。雄一のお父さんはきっと、雄一がいま笑っていることを願っています。そしていずれ雄一もお父さんに対してそんな風に思うのではないかな。そんな風に考えながら、この曲を聴いていました。

 第四章「穴底の部屋」は、やや毛色が違う。遠い過去の回想をほとんど交えず現在進行形で描かれるが、切り取っているのは過去の「あるとき」だ。高山先輩がズタズタになる前、イケてる大学生だった時代にあった、どうしようもない恋。語り手は人妻である「わたし」泉さんだ。泉にとって高山は、精力的な若者であると同時に「ばかにしないで知識を被せてこないでヤフートピックスの話題なんか持ち出さないでちゃんと最後まで聞いてくれる男」だった。「好き」が膨らむほど別れが近付いていくふたりの関係はあまりにせつない。

一木 東京事変の「三十二歳の別れ」。この短篇は、まさに、林檎さんの楽曲からインスピレーションをいただいて書きました。

<僕が居なけりゃ女にも男にもならなくて良いよ。>(「三十二歳の別れ」)
<最高と最低を繰り返す逢瀬だった>(「穴底の部屋」)

泉さんは「彼なしでは最高も最低もない、幸福にも不幸にもならなくていい」と感じているのだと思います。この短篇は、泉さんが別れを決意するまでの悦びと絶望を表現したい、その強い衝動から書き始めました。「三十二歳の別れ」に詰まっているかなしさを、別の角度から別の色合い、濃さで表現できたらいいなと考えていました。

実はこの話は『1ミリ~』とは別に書いてあったもので、それを中学時代の高山(イケてる)と30代の高山(激変)、両方に近づけながら書き直しました。そのきっかけが「三十二歳の別れ」なのです。高山と泉さんのいる空間、あの「部屋」をどうしても描きたいと思いました。

わたしは『女による女のためのR18文学賞』の最終候補に四度挙げていただいたのですが、その中にもこういった「年下の男性との恋愛」について描いた作品がありました。それを踏まえて編集さんから、「年上の女性と、すこしばかだけどいっしょにいて楽な年下男子の話は、一木さんにいつかしっかり描いてほしい」と言われたことも、この短篇を書こうと思ったきっかけのひとつです。

 第五章「千波万波」では、由井と雄一のひとり娘である中学一年生の「河子(かこ)」が「私」だ。思慮深く言葉少なな母親である由井は「どんな女の子だったか」、河子の興味に応えるかたちで、桐原と離れ離れになってからの由井が描かれる。

一木 椎名林檎さん「青春の瞬き」。少女だった由井が母親になり、娘の河子が少女になって。一瞬で過ぎていくその季節のきらめき、うつくしさ。そしてうつくしいだけではない世界のこと。そういうものを描きながらも、光を示せたら。

 たしかにその光は、はっきり示されている。いわゆる機能不全家族の子供として厳しい環境で生きてきた由井と雄一が出会い、新しくつくった家族の姿は、希望だ。『1ミリの後悔もない、はずがない』は恋愛やセックスを描くと同時に、様々な家族を描いた作品でもあり、家族についても深く考えることを余儀なくされる。

 家族は多様であるが外部に向けて閉じていることが多く、その内情は隠されがちだ。たったひとつの正解などないにせよ、一木さんが「こうであってほしい」とイメージする家族の形はどのようなものだろうか。

一木 「家族は多様で閉じている」、その「閉じている」ところが問題なのだと思います。わたしは、「開かれている」ものであってほしいです。

家族の中で起きていることを、家族でも話し合えるし、家族以外の人にも言える(知られてもいいと思える)家庭。別の言い方をすれば、子どもが親に言いたいことを言える、親に言えないことは外の大人に言える(親が外とのつながりを制限していない)家庭です。

また、親が何かに依存していない、もししてしまったら専門機関に頼れる知識とオープンさ。そしていちばん大事なのは、相手を愛しながら手放せること、だと思っています。

 最後に、差し支えない範囲で次回作の構想を教えてください。

一木 いくつも構想はあるのですが、今は、少年少女の合唱に関する長篇と、アルコール依存症についての小説を平行して書いています。中心にあるテーマはそれぞれ異なりますが、どの小説においても家族に関して書かずにはいられません。また、誰にも想像できないような場所にある虐待について描きたいです。

あとは、今暮らしているタイについての小説や、ネットリンチについても描いてみたいです。ネットに関しては自分は時代錯誤なくらい無知なので書けるかどうか自信がなかったのですが、近ごろではその無知はレア故に逆に有利かもしれないと考えるようになりました。逆手にとって少しずつ書きはじめているところです。

 今後、続々と発表されていくであろう一木けい作品を、楽しみに待ちたい。

 

▼ためし読みはこちら
『1ミリの後悔もない、はずがない』収録の「西国疾走少女」はこちらからためし読みもできます

 

■一木けい
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。20181月現在、バンコク在住。
Twitter https://twitter.com/acjryi5i0hfzwzf

ヒポポ照子

東京で働くお母さんのひとり。大きなカバを見るのが好きです。

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