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採点ばかりされる世界で「臆病」にならないための考え方 文月悠光×牧村朝子

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自分の世界を広げていく

牧村:そうじゃないかもしれない感みたいなところに、書いていく中でたどり着いてません? そこに自分が行っても、場は乱れない。

文月:自分の中で作り出しているものだって、半ば気づいてはいたんだけど、怖くて手を付けられずにいた。そういうものに敢えて踏み込みに行って、最終的には「臆病さは克服しなくてもいいんじゃないか」という結論になりました。試してみて苦手だなって感じたものは避けてもいいし、臆病さ克服する云々とかよりも、自分の意思で選び取れることを増やすほうが大事だなーと。すごく当たり前のことなんですけど……。迷走の果てにたどり着いた答えがそれでしたね。

牧村:ざくっと「臆病な詩人です、街へ出ました、こんな経験をしました、それを経て臆病な私を私は肯定します」って宣言の本でもないわけじゃん。

文月:そうですね、そういう風にはしたくなかった。それって臆病さを言い訳にして逃げていることと紙一重なんじゃないかと。

牧村:臆病であるということは、いいかえれば自分が傷つかなくても済む範囲に籠っているってことではないのかっていう話?

文月:そうですね……。今までは、殻にこもっている方の自分が本当の自分だと思っていた。一方で、殻をうまく破って外に出る瞬間もあるにはあった。そういったときに、意外と殻を破った外の自分も嫌いじゃないなと思える、この感覚を持てる時間を増やしていこうと思ったんですね。もう殻には戻りません、ってことじゃなくて、殻の中に戻る時間もあるけど、殻の外に出る時間も少し意識して増やそうと。

牧村:「意識して八百屋に行こう!」とか?

文月:そうですね。普通に街を歩いていて、八百屋があるんだ、行ってみよう、とか。単なる自分の家と仕事場の往復だったところに、ひとつ逃げ場が増える、依存先が増えるみたいな。

牧村:八百屋は依存先なんですか?

文月:えー、うん。依存先と言い切るのは大げさかもしれないですが。

牧村:勝手に閉じこもらないってことだよね、「八百屋は私を受け入れてくれないに違いない」ってならないってことだよね。

文月:そうですね、最近はちょっと心が強くなってきて。買うって決めていなくても、八百屋さんの前を通って、「あれが安いから買おうかな」「今日は微妙だから買わなくてもいいや」とか思えるようになってきて。

牧村:文月さんが八百屋さんを試し始めた!

文月:(笑)。何か申し訳なくなってきた。

牧村:でもいいんだよ、お客さんなんだもん。これが市場原理ってやつさ。

文月:ありがとうございます。

牧村:ちょっと頭良さそうな表現を使ってみました。

とにかく、自分にとって安全だと思える場所だけに閉じこもらないってことなのかな。安全だと思える家と仕事場、その往復途中にある八百屋さんを「私なんかが行っても……」ってならないで、「今日はあんまり安くないわね」って出来るようになる。そうすると、家、仕事場、八百屋って場所が増えていくわけだね。

文月:八百屋にいるときの自分が増える。大袈裟に言うとそういう感覚でした。

牧村:そうやって、世界を広げてる本ですよね。

文月:いろんな自分を知っていく本だと思います。特に大きかったのは、ストリップ劇場に行った回なんですけど。異空間だし、お客さんのほとんどが男性だしってなると、本来とてもアウェイなはずなのに、そこですごくテンションが上がったんですよね。

牧村:ストリップ劇場すごいよね。

文月:たぶん踊り子の女性との妙な連帯感だと思うんです。この空間に女は私たちしかいない、という共闘意識が、踊り子さんと目を合わせた瞬間、自分の中に勝手に生まれてきた。踊り子の人が客席に向かってボールを投げたとき、普段ならそういうのは積極的な人に任せてたのが、自分からボールを取りに行って投げ返したり。コミュニケーションを楽にとれる自分に気がついたんですよね。身近な友達が一緒にいたら「意外だね、そういうところあるんだ」なんてからかわれて、ぐさっと傷ついたりしていたかもしれない。揶揄する人がいない環境になると、いつもと違う自分にするっと変化できるんだなって体感できたんです。

牧村:アウェイ感が強い場所に馴染めた自分を発見できたらやっぱり自信がつきますよね。

文月:おそらく場には馴染めていなかっただろうし、女性客で浮いていたとは思うんですけど、自分にとって変な浮き方ではなかった。

牧村:なるほどね。

毎日が発表会

文月:今話してみても、その場で求められている役割をうまくこなすことに自分はすごく縛られているんだなって感じました。別に場が求める役割に応じなくたっていいはずじゃないですか。八百屋さんにとっていい買い手じゃないといけないってこともないだろうし、この本に出てくるように、エステサロンのお姉さんに「何も手入れしていないですね」って言われて、申し訳なさそうな態度を取る必要もない。「こうであらなくては」という理想像を、初めに持っちゃっているから、そこに届かない自分に「うー」ってなっちゃう。でも、その理想像自体が勝手な思い込みや、作られているものなんだって感じました。

牧村:わかった。自分で設定したゴールですらないんだよね。だから「八百屋という場はこのレベルの客を求めているに違いない」「デパートの化粧品売り場という場所は、このレベルの客を求めているに違いない」って勝手に他者からの視線をめっちゃ高い位置に想定しているんですよ。何でこうなるんだろう、根はどこなんだろう。

文月:うーん、何でですかね。

私、3歳のときから数年間だけバイオリンを習っていたんです。ピアノなどクラシック音楽を習っていた人は分かると思うんですけど、発表会があるじゃないですか。年に1回、人前で演奏する場面に照準をあわせて、そのときに最高の演奏を届けなければいけないってプレッシャーがずっとかけられている。その発表会気質がいまだに抜けないのかもしれない。

牧村:絶対にここだよね!

文月:八百屋に行くってイベントを設定して、万全の態勢で八百屋に行こうとする。でも別に毎日が発表会なわけじゃないし、第一力が持続しないから、発表会的イベントが終わった途端に脱力してしまう。でもそうすると、人よりもエネルギーを溜めるのに時間がかかってしまうと思うんですよね。

牧村:そりゃねえ。

文月:もともとエネルギーが潤沢にある人は、毎日が発表会でも続けられるかもしれない。でも発表会が終わるたび脱力して、また次の発表会に向けて走り出す、ということを繰り返していると、他の人の日常のペースに追いつけなくなってしまう。燃費の悪い車みたいな動き方ですね。

牧村:なんで毎日こんなに試されていると感じながら文月さんが生きているのか、その根っこをみつけた気がする。バイオリンだね。しかもバイオリンは、自分がやりたくてやったわけじゃないですよね?

文月:そうですね。23歳の頃にバイオリンの演奏会に連れて行かれて、親から「これやりたい?」って聞かれたときに「やりたい」って答えた記憶がぼんやりあるんです。以後、7年間くらい「やりたくない」って言っても「あんたがやりたいって言ったんでしょ」って。

牧村:言質を取られちゃっているからね。

文月:そう。それで嫌々続けていたっていう。

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