のぶみ『あたしおかあさんだから』が浮き彫りにした、母親が特別視されすぎていること

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育児日記

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 『ママがおばけになっちゃった』(講談社)でおなじみの、絵本作家のぶみが作詞を手掛けた曲『あたしお母さんだから』が少し前に大きな話題を呼んだ。「母親の自己犠牲を美化しすぎ」「爪切るとか5時に起きるとか、お母さんだから当然と言われてる気がする」「歌詞にされた途端プレッシャーに、そして歌詞通りじゃないお母さんの否定につながる」などと、なかなかの炎上ぶりだった。

 子育て真っ只中の私も、これを初めて目にしたとき、正直『不快』のほうが先行した。「これが優しく愛情豊富なお母さんの証なんですよ」と押し付けられているように見えたし「育児はお母さんが髪振り回してするものなんですよ」というジェンダーロールを強固なものにしてしまう歌詞にも思えたからだ。

 でもよく考えてみると、私だってこの歌詞に近い母親をやっている。朝5時起きとまではいかないけど、爪だって(ネイルアートせずに)切るし好きな食べ物は子供にあげるしキャラクターものにもかなり詳しくなったし。

 この曲が炎上し始めたころ、ちょうど『ノンストップ』(フジテレビ系)で同曲についての議論がなされていて、興味深かった。タレントの千秋や坂下千里子、三倉茉菜、男性側はカンニング竹山が進行をし、井戸田潤やユージらが議論に参加。世間で炎上対象となっている同曲について、現役の母親である千秋や坂下千里子の意見としては「ほんわかする」「お母さんの応援ソングに聞こえる」「だって本当にやってることだもん」などという肯定的なものだったが、未婚の三倉茉菜は「お母さんてこんなに我慢しなきゃならないんだ」「こんなの私には無理と思ってしまう」と後ろ向きな印象を受けたと発言していた。

ただの日常? 自己犠牲の押し付け?

『一人暮らししてたの おかあさんになる前 ヒールはいてネイルして 立派に働けるって強がってた』
『今は爪切るわ 子どもと遊ぶため 走れる服着るの パートいくから あたしおかあさんだから』

 歌詞の冒頭からなかなかパンチの利いた表現だと思った。ヒールもネイルも華やかなイメージのアイテムで、そういうものを身に纏い、自立し「立派に働ける」と言っていた過去に対し、爪を短くする・走れる服を着るという“手抜き”とも響きかねないイメージを与えた上で、「パートにいく」というこれまた華やかさからも社会的自立からも遠のいていった(ように見える)表現を用いて「あたしおかあさんだから」という言葉で締めている。この解釈自体、女性蔑視的かもしれない。華やかな容貌の女性が「女として格上」だとか、夫と家事育児仕事を分担しているだけなのにパートタイム勤務は「自立してない」と見なされるとか、そういう決め付けが。

 現実問題は、ネイルしてヒールを履いてフルタイムで働いている女性が「自立」していて格好良く、爪が短くパンツにスニーカースタイルの時短勤務の女性が「手抜き」「枯れた女」なのかと言われれば決してそんなことはないとわかっている。ただし歌詞として対比させることで、“おかあさんだから”自分の意思に関わらず否応なしに変化を余儀なくされたのだ、と読めてしまい、何だか「お母さんになるということは女性としての魅力を失うこと」のような気さえしてしまう。それ以前の生活を喪失して、代わりにお母さんとしての「幸せ」を手に入れているのだ、というストーリーではあるのだけれど。

 私は『痩せてたのよ おかあさんになる前』というフレーズも引っかかった。多くの女性が妊娠や出産を通じて体型が崩れてしまう悩みを抱えているし、だからと言って産後しっかりダイエットに勤しむ暇もない。出産を経験してからなんとなく体重が増えたまま、締りがない身体になってしまっているとか、多くのお母さんにとっては「あるある」なわけで、共感を呼んでもいい箇所ではあるのだが……。冒頭から続いている「前は自由だったけど、今はあなたのためそれらを捨てる」表現と密に絡みついてしまうから、素直に「あるある」と頷けない。本当はそんなふうに変わりたくはないんだよと。「おかあさんなんだから太っても仕方ないよね」「自分には手をかけられないよね」と、優しいメッセージを送っているかに見えて、「おかあさんなんだから自分の容貌に手をかけないようにね」と脅迫されて自己犠牲を強いられているような印象を受けてしまう。

 ともかくこの歌詞が“炎上”してから、ずっとモヤモヤしていたのだ。でも、ふと気づいた。この歌詞が自分自身で記した日記だとしたら、そこまで違和感があるだろうか?

 私も19カ月男児の子育て真っ只中で、確かに歌詞にあるようなことを日々こなしている。歩きやすい靴だとか、保育園の迎えがあるから16時までしか働けないとかもそうだけれど、子どもが好きな食べ物、子どもが好きなTV番組、子どもが喜ぶ遊びスポット……自分の選択は無意識に子ども中心だ。

 独身時代は週6で働いて毎晩のように遊んでいたし、大好きな酒や激辛類の食事、それに旅行や温泉巡りにだって頻繁に行っていたから、生活が激変したのは間違いないけれど、

 それらが滅多にできなくなった今、苦痛と捉えず生活できているのは自分で「こうしたい」と判断して選んできたことだからなのだ。もちろん「夫にも家事育児をもっとしてほしい」とか「おかあさんだからってふんわりほっこりイメージに絡め取られるのはイヤだ」とか「おかあさんでも祭りでビールを飲むぞ」とか、この連載でたびたび「おかあさんだから」的なことへの反発を書いてきた。でも一方で、私も「あたしおかあさんだから」の最後にあるように「あたしおかあさんになれてよかった だってあなた(息子)にあえたから」という気持ちも嘘じゃない。

 ただし、それすら「おかあさんじゃない」立場から見れば、好きなことをそこまで奪われても“幸せ”とか言えちゃうほどマインドコントロールされちゃうものなんだ……と哀しく思うかもしれない。私も、産んでいなければそういう目線でこの炎上を眺めていたと思う。

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