「睾丸が小さい男は左翼」説で自己肯定にひた走る右派論壇

【この記事のキーワード】

「行き過ぎた性別解消の動きが、かえって女性の肉体的負担を過大にするなどの問題もある」

(「あなたも知らずに使っている!? 日本型リベラル用語集」前同)

 竹内久美子はこうも言う。「日本型リベラルの男を発見したなら、彼は間違いなく、女にモテないタイプであること、おそらくは睾丸が小さく、子供の世話などをせっせと行うイクメンタイプであること、そして女房の尻にしっかりと敷かれた恐妻家であることなどが予想される」。

 このご時世に、イクメンが否定的に捉えられることに驚いてはいけない。この手の雑誌では、いかにして日本男児であるべきかが問われるので、育児を手伝う男なんて情けないと捉えられがちなのである。左翼は金玉が小さくて女にモテない、という原稿を読みながら、右翼の男は、自分の金玉の大きさを確認しつつ、だから俺は女にモテるのかと悦に入るのだろうか。もしも、モテない右翼がいるならば、金玉を大きくしようと試みるのだろうか。金玉ってどうやったら大きくなるのだろうか。

 そういうような金玉の小さい左翼男と結婚する日本型リベラルな女性はどういう存在かと言えば、「パートナーが日本型リベラルであり、その影響を受けている可能性がある。もう一つには本人が元々フェミニストなのではないだろうか」とある。フェミニストがモテない男と結ばれているそうで、それって単純に、モテているのではないかと思うのだが、竹内のフェミニストの定義「フェミニストとは女は差別されているという先入観を持ち、現実を見ず、見たくない人々」を知れば、モテない男と結婚しているのは現実を見ないフェミニスト、ということにもなる。現実って何だろう。

「モテない男=睾丸が小さい」
「モテない男を好む=フェミニスト」
「フェミニスト=現実を見ない」

 この3つを連立方程式の要領で無理やり解けば、「現実=睾丸」という答えを出すことも不可能ではないが、現実って睾丸なのだろうか。

 この特集には編集部による「日本型リベラル用語集」があり、「ジェンダー・フリー」の項目の説明は「行き過ぎた性別解消の動きが、かえって女性の肉体的負担を過大にするなどの問題もある」と締めくくられている。その“過大な肉体的負担”が何を指すのかは分からないが、女はあんまり社会に出るな、基本的には家にいてくれ、という考えはこの手の雑誌に通底する態度である。よく、人様の意見を「中学生レベル」と揶揄することがあるけれど、今回の場合は、冒頭で例示した浴場談義と同様のレベルにあるので、揶揄ではなく実態としての「中学生レベル」である。

 この竹内の論考を読んで自信を得る男性がいるならば、私はそこまで鈍感に使いこなせる「男としての自信」とやらを欲しくなってしまう。他人と睾丸を比較したことはないけれど、自分の睾丸が小さいから、それっぽっちの「男としての自信」が湧いてこないのだろうか。

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