宮沢りえと森田剛の再婚で「娘に会えない」元夫の嘆き 「新しいパパ」がいれば面会約束は果たされなくて良い?

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離婚=片方の親子が断絶

 結婚発表後、「女性自身」(光文社)は再婚の経緯について、長女が森田を「パパ」と呼んだことが決意させた、と報じている。交際当初から長女は森田に懐き、家族同然の生活をすぐ始めてはいたが、長女はずっと森田のことを「剛くん」と呼び「パパ」とは呼んでくれない……と宮沢は悩んでいたという。しかしある日、初めて長女が「パパ」と呼び、「あまりの嬉しさに、りえさんと森田さんは声をあげて喜んだといいます。そして2人は話し合った末、結婚を決意したそうです」。そして彼らはめでたく入籍、ステップファミリーを築いていくこととなった。

 筆者は個人的には、親が再婚する際、その相手が必ずしも子どもにとって「新しいパパ(ママ)」と呼べる存在である必要はないと考えている。そして、親が離婚したからといって、離れて暮らす親と子が絶縁する必要もない。もちろん、離れて暮らす親が、子どもや元配偶者に著しい悪影響を与えるケースはその限りではないし、親子の縁を切る権利も子どもは持っていると思う。暴力をふるう、暴言を吐く、金銭をせびるなどの行為があるような親と、「親子だから」なんて理由で会い続けなければいけないとしたら、それはおかしい。しかし離婚によって夫婦が「もう顔も見たくない」ほど憎み合ったとしても、その憎しみを子どもに押し付けてはならないだろう。

 宮沢りえとAさんの離婚には、Aさんの暴力や暴言、不貞行為、経済DVなどの事情はなかったはずである。あくまでも生活のすれ違いや価値観の相違であったのなら、宮沢は離婚成立の際にかわした「約束」を守るべきではないだろうか。また、一本気な性格で知られる森田剛にもしもこの件について宮沢が相談すれば、森田は「会わせたほうがいい」と言うのではないか。

 あるいは宮沢側に「どうしても長女を元夫に会わせたくない理由がある」とか「元夫は極悪非道な人間で親たる資格などない」などの言い分もあるのかもしれず、第三者がこのようなプライバシーに口を挟むべきでないことは重々承知だが、世の中一般に、「再婚したら、子どもは元夫とは会わせなくて良い」という価値観があるように感じてもいる。たとえば結婚・出産・離婚を何度か繰り返している女性芸能人たちは、「新しいパパ」が家に来ても、子どもと「元のパパ」との交流をしているのだろうか。彼女たちは再婚ノロケトークはしても、そうしたリアルな話をすることはない。

 さらに、離婚が成立して女性芸能人が親権と養育権を得た場合、子どもが父親と交流する場面を見ては「おかしい、女性芸能人の育児放棄では」と騒ぎ立てるケースもある。真木よう子や雨宮塔子がその一例だ。元妻が子の親権は持ちつつ、別れた夫に子どもを預ける時期もある、という「育児分担」の考え方が、もっと当たり前になってもいいのではないだろうか。離婚=親子断絶ではないはずだ。

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