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小学校1年生向けの、ある道徳の教科書にあった「パン屋」という記述が、学習指導要領で掲げられている「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」ことが欠けていると文部科学省が指摘し、教科書の記述が「お菓子屋」に変更されていたというニュースを覚えているだろうか。
2018年度から実施される新しい学習指導要領の大きな変更点のひとつに「道徳の教科化」がある。道徳が教科化されることに対しては、「特定の価値観(愛国心など)が押し付けられるのではないか」といった声が以前よりあがっており、このニュースは「フェイクニュースかと思った」といった驚きの声と共に、懸念を抱かせる顕著な例として受け止められていた。
今年3月には、教科書検定に合格した8社の教科書の中で、「思いやり」「愛国心」などの項目を生徒が数値などで自己評価する欄を設けている教科書があると、朝日新聞が報道している(道徳「愛国心」など自己評価 専門家から疑問の声も)。文科省は、教員が生徒を評価する際、数値ではなく記述式の評価をすること、個々の項目ではなく大くくりなまとまりを踏まえた評価にすることなどを、「道徳化における評価の在り方」としてまとめており、教員がこうした自己評価欄を活用することについては否定的のようだ。
道徳の教科書と言えば、やはり教科書検定に合格した8社のうち4社で、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)などの性的少数者が取り上げられていることも注目されている。道徳の教科書での記述は初めてのことであり大きな一歩ではあるが、その一方で今年1月に、広辞苑が新しく設けた項目「LGBT」が、問題のある記述であったことを考えると、実際の教科書でどのように取り上げているのかという不安もある。
中学校の「保健体育」の学習指導要領には以下の記述がある。
「思春期には,下垂体から分泌される性腺刺激ホルモンの働きにより生殖器の発育とともに生殖機能が発達し,男子では射精,女子では月経が見られ,妊娠が可能となることを理解できるようにする。また,身体的な成熟に伴う性的な発達に対応し,個人差はあるものの,性衝動が生じたり,異性への関心などが高まったりすることなどから,異性の尊重,性情報への対処など性に関する適切な態度や行動の選択が必要となることを理解できるようにする。なお,指導に当たっては,発達の段階を踏まえること,学校全体で共通理解を図ること,保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である」
注目すべきは「人差はあるものの,性衝動が生じたり,異性への関心などが高まったりする」という点だ。学習指導要領では、異性愛以外の性的指向が想定されていない。類似する記述は、小学校の「保健」「道徳」の学習指導要領にもある。
文科省「特定の考え方を押し付けない」を信じられるか
新年度が始まり教科書や学習指導要領が注目される中、今月3日に「しんぶん赤旗」が、中学校の道徳の教科書検定に合格した日本教科書の代表取締役と、『マンガ嫌韓流』の出版社・普遊舎の会長が同一人物であることを報じた(道徳教科書の出版社と韓国ヘイト本出版社 代表者同じ)。記事の中でも言及されている通り、『マンガ嫌韓流』は韓国に対する差別を扇動する本の先駆けともいえる一冊で、発売当初から繰り返し話題になってきたものだ。
さらに日本教科書は、八木秀次麗澤大学教授が2016年4月に「道徳専門」で設立した教科書会社である。保守派の論客として知られる八木氏は、「新しい歴史教科書をつくる会」の3代目会長であり、現在は同会と袂をわかつ形で設立された「日本教育再生機構」の理事長や、育鵬社から中学校の歴史、公民の教科書を出版している教科書改善の会のメンバーでもある。さらに、安倍晋三首相との関係も深いとされており、教育実行再生会議の委員として選ばれてもいる。教育実行再生会議は、道徳の教科化の提言もしている。
八木氏は以前より積極的にフェミニズムへの批判を行ってきた。また2015年に成立・施行された「同性パートナーシップ証明書」(正式名称は「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」)に対して、「さまざまな「性的指向」の中でも異性愛は他の指向よりも優位性を持たせなければならない。渋谷区条例のように異性愛も他の性的指向も価値として平等となれば、婚姻制度の根幹が崩れてしまう」といった批判も展開している人物だ(LGBT差別禁止法に異議あり! 異性愛を指向する価値観に混乱をきたしてはならない 麗澤大教授・八木秀次)。
ちなみに今月話題になった、足立区の区立中学校で行われていた性教育の授業に対して「学習指導要領にそぐわない」と問題を指摘した古賀俊昭都議(自民党)は(性教育で「避妊」「中絶」を取り扱うことは不適切? 15年前と変わらぬ都議と東京都教育委員会)、2015年10月出版された『揺らぐ「結婚」同性婚の衝撃と日本の未来』(世界日報社)で、八木氏と「結婚には神聖な価値がある」というタイトルの対談をしている。
先に、文科省は道徳が教科化されるにあたって、教員が生徒を評価する際には、記述式で評価をすることなどを示していることを紹介した。「道徳の評価の基本的な考え方に関するQ&A」でも、「Q 道徳が「特別の教科」になり,入試で「愛国心」が評価されるというのは本当ですか? 道徳が評価されると,本音が言えなくなり,息苦しい世の中にならないか心配です」という問いに対して、「A 道徳科の評価で,特定の考え方を押しつけたり,入試で使用したりはしません」と回答している。
しかし学習指導要領は法律ではない。一度、教科化された後、より顕著な形で「愛国心」など特定の価値観を生徒に押し付け、評価する方向に改訂することは法改正よりも容易なものだ。今回、いくつかの教科書が取り上げたLGBTなどの性的少数者の記述が来年度以降に削除される可能性もある。これらは、ここまで見てきた経緯を振り返れば、当然抱く懸念ではないだろうか。
先日、足立区の区立中学校に対する古賀都議および東京都教育委員会の対応を受けて、change.orgで「足立区の性教育を応援!自分のからだを守り、人生を選択できる力を育む知識を中学生に提供してください!」というキャンペーンがスタートした。学校教育で必要なことは、国家が特定の価値観を押し付けることでもなければ、差別を扇動したり、マイノリティを存在しないもののように扱うことでもない。個人を尊重するという当たり前のことを実践するための正しい知識を子供たちが持てるようにしてほしい。