社会

荒木経惟の被写体を務めたKaoRi氏の告発 アラーキーの女性礼賛とは何だったのか

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論点は「卑猥かどうか」「性暴力か」ではない

 これまで少なくとも日本では、写真家と被写体との間に、必ずしも契約書は必要ないと考えられてきたのかもしれない。たとえばプライベートで恋人の写真を撮るとき、いちいち書面をかわしている日本人フォトグラファーはそう多くいないのではないだろうか。しかし別れた後に、元恋人が「すべての写真を破棄してくれ」と要求したとして、「自分は芸術家だから、これは作品だ」と勝手に展示したり写真集にしたりといった行動は許されるのか。基本的に、「芸術だから」許されてきたのだろう。今でも「リベンジポルノとは目的が違う」と解釈する向きはありそうだ。

 しかし「芸術のため」なら何でもありという態度には疑問がある。その「芸術作品」を世に放つにあたって確実に必要であった“被写体”への謝礼、そして作品化することへの“被写体”の許諾を、軽視してはいけないはずだ。2014年、写真家の大橋仁氏がニュースサイト「タブロイド」のインタビューにて、2005年頃にタイの売春宿で撮影禁止なのをわかった上でカメラで娼婦たちを撮影し続けたと語り、批判の声が上がったことを覚えているだろうか。そうして撮影された写真は20072008年にかけて東京都写真美術館で展示されていたという(当該美術館は、撮影手法は知らなかったと答えている)。

 卑猥な写真を撮ってはいけない、という話ではない。撮影した作品そのものではなく、きちんとした手続きに則って制作されているかどうか、という点を問題視している。撮影に際して被写体は「YES」と答え、同意書を交わしたのか。もちろんその時、被写体側が不自由を感じずに「YES」か「NO」の意思を表明できる状況が用意されていることが前提である。こうして考えてみると、現在さかんに議論されているアダルトビデオ出演強要をめぐっての「適正AV」の指針にも重なる。「適正な手法で撮影したら、面白いモノは撮れない」とは言わせない。

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