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フェミニストの私が、魔女になることを諦めた理由

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でも、魔女にはなれない

 こういうわけで、魔女は、少なくとも私にとってはとても魅力的ですし、できることならそうなりなかったと思います。実際に女神などを信仰している人には尊敬の念を抱いています。でも、私にはどうしても魔女になることはできませんでした。理由はふたつあります。ひとつには女神信仰には本質主義的なところがあること、ふたつには私が個人的にとても大事だと思っている学問、とくに歴史学や科学と衝突することです。

 ウィッカなどの女神信仰では、女性に本質的に備わる出産の力が重視されていますが、私は全ての女性には何か根本的に男性と違う精神性が備わっているというような前提には懐疑的です。個人的に、出産などを過剰に礼賛するのは子どもを産みたくない女性、子どもを産めない女性に対する偏見につながりやすいと思うところもあるので、その点でも眉に唾をつけざるを得ません。また、ウィッカの実践者は月経が女性の身体を刷新させる力の根源だと考え、サロモンセンの本には経血を魔術に使用する魔女なども登場します(p. 237)。私はアレルギー性鼻炎でしょっちゅう大量の鼻水を出していることもあって、自分の身体から何か神秘的なものが出てくるとは信じられません。経血も鼻水同様の感染性廃棄物に見えます。女性の身体の機能をやたらと神秘的に礼賛するのは、どうも自分の柄ではないのです。

 さらに、女神信仰では失われた古代の母権世界をユートピア的に描いたり、中世末期から近世までに魔女狩りの対象となった人々を古代から非キリスト教的伝統を保持していた魔女と考えたりするなど、歴史学の観点からはあまり信憑性のなさそうな神話体系を持っていることもあります。これは、学問に仕える者として、お話だと割り切ってもなかなか心情的に受け入れられないところがあります。抑圧された人々が、自分のつらい境遇をやわらげるためにニセ歴史にハマるというのは女性に限った話ではありません。たとえばアメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人組織ネーション・オブ・イスラムは、白人はマッドサイエンティストの陰謀で作られた劣等人種であるという非常に不可解な歴史観を奉じており、こうした突拍子もない信念が、マルコムXのような博識な活動家を遠ざけた一因ともなったと考えられています(フリッツェ、第4章)。マルコムXはタフでセンスのある独学の人だったので、ニセ歴史は受け入れづらかったのでしょう。女神信仰の歴史観についても受け入れられないというフェミニストはけっこうおり、私もそのひとりです。

じゃあ、無神論は?

 本質主義的な傾向や歴史観に関して心理的な抵抗があったため、私は女神を信仰したり魔女になったりするのはやめて、無神論者になることにしました。では無神論はフェミニストにすごくフィットする考え方か……というと、実はそういうわけでもありません。無神論は無神論特有の問題を抱えています。これは次回、後編で詳しくお話したいと思います。

参考文献

バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典 失われた女神たちの復権』、山下主一郎他共訳、大修館書店、1988。
巽孝之編『サイボーグ・フェミニズム』増補版、水声社、2001。
マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々』鶴岡真弓訳、言叢社、1989。
J・J・バハオーフェン『母権制―古代世界の女性支配 : その宗教と法に関する研究』吉原達也、平田公夫、春山清純訳、白水社、1992–1993。
ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ ―自然の再発明』新装版、高橋さきの訳、青土社、2017。
ロナルド・H・フリッツェ『捏造される歴史』尾澤和幸訳、原書房、2012。
Robert Graves, The White Goddess: A Historical Grammar of Poetic Myth, Faber and Faber, 1961.
Jone Salomonse, Enchanted Feminism: The Reclaiming Witches of San Francisco, Routledge, 2002.

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北村紗衣

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

twitter:@Cristoforou

ブログ:Commentarius Saevus

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