
三谷幸喜作、演出「江戸は燃えているか」
劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
舞台芸術や舞台演出家というと、ちょっと高尚でとっつきづらい印象もあるものです。そのイメージに反し、かつ舞台に興味のない人でも一度は作品を目にしたことのある演出家といえば三谷幸喜でしょう。NHKの大河ドラマ『真田丸』(2016年)のヒットも記憶に新しく、日本を代表する劇作家のポジションを確立していますが、三谷作品の真の魅力はやはり舞台にあります。
先月、新橋演舞場という伝統ある劇場で上演された新作「江戸は燃えているか」は、三谷作品の真骨頂ともいえる時代劇コメディで、奇しくも今年の大河ドラマと同じ西郷隆盛がモチーフ。感動や人生の示唆などを全部放り投げた、ただ笑いだけを求めた作品に、舞台という娯楽の在り方を再発見してきました。

三谷幸喜作、演出「江戸は燃えているか」
作、演出を手掛けた三谷幸喜が20年間構想していたという同作は、日本の歴史の大きな転換点になった明治維新の、江戸無血開城を実現させた勝海舟と西郷隆盛の会談を描いています。政府軍への降伏かそれとも徹底抗戦か、江戸が戦場になるかどうかが決まる緊迫したその場にいたのが偽者だったら――という物語。主人公の勝海舟は中村獅童、勝海舟の偽者役はTOKIOの松岡昌宏が演じていました。
俳優の個性に合わせた“あてがき”
劇中の勝海舟は、娘からも「人の意見を求めるくせに人の意見を聞き入れない」「基本、かまってちゃん」と言われ、プレッシャーを感じると女郎屋へ駈け込んでしまう面倒くさい人物。西郷から内密の会談を求められても「旗本を抑える自信がない!」と女中に膝枕されながら断固拒否し、蕎麦屋へ逃げてしまいます。残された家族は、容貌が似ており普段から海舟が替え玉に使っている庭師の平次を海舟に仕立て上げ、西郷を待ち構えます。
外見をより似せるため、平次の頭にもずくの束を載せたり、替え玉の事情を知らない家族や家臣をごまかすために男女問わず色仕掛けで黙らせたら痴情のもつれが起きてしまったり、途中で本物の海舟が帰宅してきてしまったり、本気のミュージカルシーンが展開されたり……。
西郷を納得させて帰したら、何も知らない本物の海舟が翻意して「やはり西郷に会う」と言い出し、今度は西郷の偽者を用意して海舟へも同じ内容の会談を行うことになるなど、とにかくずっとドタバタ。ストーリーの中身は、あってないようなものです。
三谷幸喜の特徴といえば、俳優自身の性格や個性に合わせて役を作るあてがきという作劇と、気に入った俳優は何度も自作に呼ぶことです。中村獅童は大河ドラマ『新選組!』(2004年)に出演しており、松岡昌宏は演出した舞台「ロスト・イン・ヨンカーズ」で起用したことがあります。
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