4月14日にブラックデーという記念日があることをご存知ですか? 韓国独自の日で、バレンタインデーにチョコをもらえなかった男性やホワイトデーにお返しをもらえなかった女性が、黒い服を着てジャジャ麺やコーヒーなど黒いものを食べたり飲んだりするそうです。一見ネガティブなようですが、黒い服を着ている=フリーというアピールになり、出会いのイベントにも変化しているそうです。
私は、このような記念日やイベントは関心がない人が無理にやる必要はなく、楽しみたい人がそのきっかけとして使えるといいなと思っています。しかし、イベントの前後は世の中の空気が大きく変わるので、感じない、気にしないようにすることもむずかしいときがあり、悲しい思いや息苦しさを感じる人も少なくありません。
バレンタインデーにチョコレートをもらえなかったり、ホワイトデーにお返しをもらえなかったりしたことが悲しく、日本にもブラックデーが欲しいと思った人も多いのではないでしょうか。
私はバレンタインデーは大好きなのですが、ホワイトデーが苦手。なくなってほしいと毎年思っています。これをいうと「女性があげる日は好きなのに返す日はなんで嫌なの?」と驚かれます。今回はその理由からバレンタイン&ホワイトデーについて考えていきます。
私はホワイトデーは、お返しをもらったりデートをする口実になったりしたらもちろん楽しく過ごせますが、とても「不安になる」イベントだと感じています。恋愛や人間関係の相談を受けていても、男女どちらもホワイトデーになんともいえないもやもやした気持ちを抱える人が多いのです。バレンタインデーはともかく、少なくとも現状のホワイトデーは幸せになる人が少ない構造になっているのではないでしょうか。
好意が可視化される日
まずバレンタインデーに主に“あげる”側の女性は、ホワイトデーに返ってくるかどうか不安です。「ホワイトデーに何倍返し!」なんていうイメージがテンプレートとして広まっていますが、実際そんなことを期待している人をほとんど見たことがありません。そういう人もいるのでしょうが、返ってこなかったり忘れらていたりする可能性のほうがずっと高いのです。高価なブランドチョコレートを贈ったところで、男性にはその値打ちが伝わらないという話もよく出ます。
「お返しを忘れて喧嘩した」「返し忘れて嫌われてしまった」もよく聞きます。1カ月以上経ってホワイトデーに告白を返す人もめずらしいでしょうし、誰からもらうかわからないバレンタインと違って、新しい驚きのない予定調和なイベントなのでホワイトデーは盛り上がらずに忘れられやすいのでしょう。
私はバレンタインデーに限らず、あげたい人にプレゼントをする行為はとても楽しいことだと思っています。プレゼントを選んだり作ったりするあいだはその人のことを考える時間になり、それがコミュニケーションにもなるからです。でも私はその時点で終わりにしたいのです。わざわざお返しの日が設定されていることで、返ってくるかどうかを意識してとたんに息苦しくなります。好意を評価されて可視化されるような気がするのです。
私の場合はお返しの物自体が欲しいというよりも、「バレンタインデーであげたものや自分との関わりを尊重して大事に思ってくれたかどうか」のほうが重要で、ホワイトデーの対応でそれを考えてしまいます。しかし人によってこの日に対する認識はそれぞれで、「返さなかったからといって大事に思っていないわけではないんだろう」とは思いますが、返す日が決まっていてもなお返さないのは「忘れられてしまったのかな」「そんなにたいしたことじゃなかったのかな」と悲しくなることもあります。
返ってくることを期待すると苦しいのは、人に好意を伝えるときや人の手伝いをするときでも同じです。「何かをあげたり、してあげたりして喜んでもらった」それでいいはずなのに、「見返りを求めたくない」「でも返ってこないと悲しい」そんな気持ちを抱える人は少なくありません。