
左「記憶 ~渋谷すばる/LIVE TOUR 2015」、右「Mi Amor(+1)」赤西仁
4月16日にジャニーズ事務所によって開かれた緊急記者会見は、なんとも異例なものだった──。関ジャニ∞の渋谷すばるがグループからの脱退を表明、さらに2018年12月31日をもってジャニーズ事務所から退所することを発表する会見だったが、国民的な知名度を誇るSMAPでさえ解散に際して記者会見を行っていない。NEWSやKAT-TUNなども多くのメンバーが離脱してきたが、いずれも会見など開かれなかった。
会見では、渋谷すばるのほか、怪我で療養中の安田章大をのぞく関ジャニ∞のメンバーが出席。時おり涙を浮かべながら、渋谷を引き止めることができなかった悔しさをにじませる場面も多々あった。
渋谷すばるは、グループ脱退と事務所退所の理由を会見でこう述べた。
「すべて自分自身の責任下で今後の人生を音楽でまっとうすべく、海外で音楽を学び、さらに自分の音楽というものを深く追求していきたい」
換言すればこれはつまり、関ジャニ∞での音楽活動では自分の音楽を追求できないということ。ありがちな表現を使うならば「方向性の違い」ということにもなるだろう。
同じように自らの表現を追求するべくグループを脱退したジャニーズタレントいって真っ先に思い出されるのが、元KAT-TUNの赤西仁だろう。本稿では、渋谷すばるの前途を、赤西仁のジャニーズ離脱後の活動を引くことで想像していきたい。
“スペオキ”であるかどうかが、その後の自由を左右する
赤西仁は、KAT-TUNとしてメジャーデビューしてから約半年後となる2006年10月、語学留学をするという理由で無期限の活動休止を宣言する。2007年4月にアメリカから帰国すると、そのままKAT-TUNとして活動を再開した。しかし今度は、2010年にアメリカでソロライブを行うという理由でKAT-TUNのツアー『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART1:ARENA TOUR』には不参加。グループ活動を無視してソロ活動をしたわけだが、結局その流れのまま、同年8月にKAT-TUNを脱退している。
このとき、関ジャニ∞のようにKAT-TUNのメンバーがそろって記者会見を開くようなことはなく、また残されたメンバーたちも赤西仁を引き止めるようなこともなかったという。いうなれば赤西仁と他メンバーとの関係はよいものではなく、完全決裂という形で脱退したこととなろう。しかし、今回の渋谷すばるのケースと違い、赤西仁はソロになってもそのままジャニーズ事務所への所属を続け、さらには海外進出へのサポートも受けていた。
グループ活動をないがしろにして休業したりソロライブをしたりといった行為が許されていた赤西仁だが、彼はジャニー喜多川社長の“スペオキ”=“スペシャルなお気に入り”だったことで知られている。だからこそ、身勝手に脱退した後も、事務所に残った状態でソロ活動をすることができたのだろう。
結局2012年2月、赤西仁は黒木メイサとできちゃった結婚、それが事後報告だったことへのペナルティとして活動休止となり、その約2年後の2014年2月にジャニーズ事務所を退所するわけだが、そういった行為がなければ、現在もジャニーズ事務所に留まっていた可能性もなくはない。グループ脱退とジャニーズ事務所退所がほぼイコールとなった渋谷すばるとは、まったく扱いが異なるのである。
ちなみに、赤西仁と同様KAT-TUNを脱退し、現在はソロ活動をしている田口淳之介は、ジャニー社長のスペオキでもなんでもなかったからか、2016年3月をもってグループ脱退と同時にジャニーズ事務所を退所している。もちろん、ジャニー社長が脱退後の田口をサポートしているという話はまったく聞かない。
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